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第5土曜日は実施しません

坐禅と正法眼蔵研究会ー日本語の会(赤心会)は、当面第5土曜日は休会となります。
次回は4月6日、その次は4月20日となります。
よろしくお願いいたします。

幹事

by doutetsu | 2019-03-23 10:50 | 活動・連絡

第5土曜日は実施しません

坐禅と正法眼蔵研究会ー日本語の会(赤心会)は、当面第5土曜日は休会となります。
次回は4月6日、その次は4月20日となります。
よろしくお願いいたします。

幹事

by doutetsu | 2019-03-23 10:50 | 活動・連絡

2019年3月2日「25 正法眼蔵仏教」終了 教えと坐禅

45分の坐禅ののち、西嶋老師提唱音声を聴講。
テキスト「本巻の大意」によれば、釈尊の教えは実践を重視するものであるが、一方で不立文字教外別伝などという表現で経典(抽象理論)を安易に否定する姿勢を批判する巻。
173ページから最後まで。

「しるべし、恒沙の仏教は竹箆払子なり、仏教の恒沙は拄杖拳頭なり」
この世に存在するガンジス川の砂のようにほとんど無数の釈尊の教えとは、目の前にある仏具のような具体的な事物であり、
釈尊の教えがほとんど無数の事象としてわれわれの眼前に展開されたものとは、僧侶の使う杖や振り上げた拳のような具体的事物である

老師提唱録
『ほんとのことが書いてある本がどっかにあると思って、みんな一生懸命見つけているわけです。ただ釈尊の説かれたのは、本当の教えというものは、われわれの日常生活の中にある。われわれがどう生きるかという生き方の中に、本当の教えというものが含まれておる』

最終行
「正法眼蔵を体達せざるは、七仏の法嗣にあらざるなり」
『仏教の理解というのは、頭の中で理解がついた、つかないということではなくて、体で仏教をつかむということが非常に大切なこと。だからわれわれがなぜ坐禅をやるかといえば、体で仏教をつかむことにほかならない』

***

この提唱を行われた当日、冒頭の講話で老師は坐禅についてこう説明されています。
『坐禅というのは考え過ぎ、感じすぎの両方(両端)の状態から抜け出すのがねらい』
『坐禅をやった後、気持ちはなんとなくスッキリする訳でありますが、そうかといって特別にどこがどう変わったとも感じない。そのことはどういうことかというと、自分自身の一番本来の状態に戻ったということ、だから特別のものが何も感じられないということが当然の結果としてあるわけであります』

***

次回は3月16日、提唱聴講は「26 正法眼蔵神通」に入ります。


by doutetsu | 2019-03-03 09:03 | 活動・連絡