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10月18日西嶋老師「中論」ご提唱

冒頭、「中論」日本語訳の再改定が終了した旨、お話があった。
金沢文庫より出版された後は新訳をテキストにご提唱いただけるとのことで喜ばしい。

第4章『集合体に関する検証』の続き、第3頌より。
第4章は、客観世界がどういうものか、を扱う第3~7章の1章。
65ページ
第3頌 「不合理なものの不存在」
●外見という考え方があるため外見と本質が別々に見えることがあっても、両者はひとつのもの。この世にありえぬ不合理なものが本質と見える場合はその不合理も本質も実在しない。
第4頌 「本質と外見」
●本質は外見に見える形では現れない。本質は外見に見えない形では現れない。本質と外見が分離できない現実の事態の「要素」であるから矛盾した主張が同時に成立する。
第5頌 「本質的な転換の欠如」
●根拠の無いものが世の中に現れることはなく、実体なしに外見だけが現れることもない。転換とは瞬間が次の瞬間に推移することであり、現在の瞬間に転換という事実は実在しない。
第6頌 「現実の行いは居心地の良い悪いと無関係」
●実行された仕事が現実の事態として世の中に現れるだけ。行いの最中は良い悪いは判らない。
第7頌 「一切の探求と外見的な世界」
●一切のものに対する探求は存在の中で行なわれ、進歩は外見を基準として行なわれる。
第8頌 「人間の自主性と管理された状態」
●人間が独立独歩の状態にあるときは、逆に用心深く、また落ち着いた態度をとることができる。回避できない問題はあるが管理された状態で迎えることができる。
第9頌 「均衡した状態と物事の成果」
●均衡した状態ならば人を非難する際ですら良く説明できる。非難されるところがなければ管理された状態で一切が具現化する。

73ページ
第5章
仏道では物質の存在は客観世界の解釈として認めている。理性でも感性でも世界の実在を確認することはできないが、自律神経が均衡しているとき、直感的な判断を通して現実世界の実在を確認することができる事情が述べられている。

第1頌 「現実的な空間の不可視性」
●なんらかの特徴と一体でなけれ空間を空間として認識することはできない。
第2頌 「物質と特徴」
●特徴のないものは存在しない。特徴が無ければ存在を認識できない。
第3頌 「特徴そのものの動きと現実の世界」
●特徴はその特徴を持つものと一体であり、ある特徴を持つものと持たないものが同時に存在する世界に実在する。
第4頌 「特徴の認識と事物の存在」
●特徴が認識できなければ特徴(物)も存在しない。
第5頌 「特徴の存在と特徴の認識」
●特徴の認識が気付かれなければ特徴の存在も認識されない。
第6頌 「存在、不存在の議論の無価値」
●この世が存在するかしないかは理性でも感性でも結論付けできない直感の判断の問題。存在しないという断定は許されない。 
第7頌 「物質そのものと判断」
●現実世界は(言葉では)存在するものでも存在しないものでもない。特徴もしかり。物質のありようである地水火風空(固体、液体、現象、気体、空間)は個々に独立している。
第8頌 「現実と実在」
●目の前の現実として見えている事物の実在を否定することは愚かである。事物は単に見えているだけではなく、静かな恵み深いものとして見えている。

10月18日は以上81ページ、第5章の終わりまで。
先生のご発言より。
『仏教は実在論であり、「中論」はそれを明快に説いている』
『今日の箇所も、特徴を認識できないものは存在しない、と観念論的に読むのは間違いで、存在しているものは特徴を有するの意』
『仏教は人間に重きを置いた教えだが、宇宙には人間が生まれる以前からやがて人間を生み出す要素があったわけで、人間を大事にするのと同時にその要素も大事にしなくてはならない』
『霊魂は存在しない。中論は繰り返し明言している。死ねば暗闇で永遠の休みがとれる』
『生きている以上、生きている社会や世界を知りたいと思うのが人間であり、またそうでなければ意味がない』

次回は11月15日(土)。年内のご提唱はこの回まで。
by doutetsu | 2008-10-19 15:55 | 老師「中論」御提唱
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