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「神通」の巻終わり われ常にここにおいて切なり

5月6日東大仏青赤心会。4回に分けて読んできた正法眼蔵神通の巻を終えた。仏の神秘的な能力とは人間の日常の行いを意味する。その教えの最終的な解説。
『その六神通は、六入を無迹にあきらむるなり』 六入(ろくじゅ)とは眼耳鼻舌身意の感覚器官または色声香味触法の感覚の対象。それらをありのままにとらえ、動揺しないことである、と。
「一切有無の諸法(形あるもの無いもの、価値のあるもの無いものの一切の実在)」をありのまま受け止め、貪らないこと。貪らないことは汚さないということ。またそれを別の言葉でいえば、ごくあたりまえの心である。
『不貪染は不染汙(ふぜんな)なり。不染汙といふは平常心なり。吾常に此(ここ)に於いて切なり』
西嶋老師は提唱録で【自分はいつでも現在の瞬間において一所懸命であるということが「平常心」であり「不染汙」である。だから平常心といっても、いつものんびりと落ち着いているということではない】と解説されている。

身の回りのものや出来事に動揺してしまう私たち。「動揺せず、平常心で、真剣な瞬間」というのは考えると難しい。
ただ坐禅をすると「動揺せず平常でかつ真剣な瞬間」を実感することができる。
「神通」の実感もまた、坐禅の実践によって得られるものだった。
by doutetsu | 2006-05-07 10:02 | 赤心会ゼミ録
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