1月31日「一百八法明門」2回目

坐禅ののち講義室にて「正法眼蔵 一百八法明門」の2回目。
現代語訳と提唱録のご解説をたどっていきました。
道元禅師による『仏本行集経』から引用が大半の巻で、概要は前回記録をご参照ください。

テキスト170ページ。108(項目数は109)の‘法明門’の50番目、「諸入」から。
『諸入ハ是レ法明門、正道ヲ修スル故ニ』。
《感受(感覚器官を通じた刺激、それをそのまま受け入れること)は、釈尊の教えを明らかにする糸口である、なぜならそのことによって正しい教えを実行することができるから》
その後、四念処、四正懃、四如意足、五根、五力、七覚支、八正道の三十七品菩提分法といわれる実践徳目が‘法明門’として列挙されています。
たとえば「正語」。
『正語ハ是レ法明門、一切の名字、音声、語言ハ響ノ如クナルヲ知ルガ故ニ』
《正しい言葉づかいは釈尊の教えを明らかにする糸口である、なぜなら一切のものの名前、人の話す声、言葉は‘響き’であるということを知ることができるから》
西嶋老師は提唱録で次のような解説をしておられます。
われわれの言葉は感情を交え内容をゆがめて語れられる場合が多い。正しい言葉を述べる努力を絶えずしていれば、言葉の中に感情が交じる、偏見が交じるということがなくなる。
「感情を交えずに、あるいは特別の個人的なゆがみを持たせずに、素直に語られた言葉、それが『正語』と呼ばれておるわけであります(提唱録1985年2月28日)」

109項目ある中で『正信』の語が最初と85番目に‘法明門’として2回出てきますが、2度目の述部には『最勝ノ法ヲ得ルガ故に』とあります。
また67項目目では『慧力(直観的な力)』が『二辺ヲ離ルルガ故ニ』‘法明門’、とあります。
関連してここでも西嶋老師は、理想主義の哲学と唯物論的哲学の「二辺を離れ」両者を統合するものである点で、われわれ仏教徒にとってだけでなく、現代において人間の行動基準になる唯一の教えであると、提唱されました。
この日は「六波羅蜜」と呼ばれる6種の徳目の最後、『智度ハ是レ法明門』まで読んで終了しました。

テキストをはなれ、この日は坐禅が初めての方がいたので、西嶋老師の坐禅指導について話をしました。
老師が言われたのはただ背筋を伸ばして坐る、毎日ただやり続けることが大事ということで、それ以外の細かいことはあまり言われませんでした。いわんや数息、公案、警策など余計なものは一切ナシ。
最近の図書のなかで坐禅についてかなり詳細に書かれている藤田一照師の『現代坐禅講義』においても、「坐相」は大切なものであるがそれぞれの人の「結果自然成」であり、ミリ単位で細かく基準に合わせることが正しいとは言えない、坐相-まっすぐ坐ること-に各々取り組むのが望ましいという説明があり、老師の指導と通じるものを感じます。
もちろん、何でもよいということでは決してありません。
筆者がかつて、静岡の坐禅会で前かがみになっていたところ自然に胸をはるよう両肩を後ろから開いていただいた経験を話したところ、Tさんは、肩に力を入れて坐禅をしていたら、老師がそっと両肩に手を置かれて鎮めてくれた経験を話されました。

安楽の法門である坐禅を一人ひとりが大事に坐り続けることが、老師の願われたことに思えます。

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次回は2月7日(土)。
参加者と相談して、次回は第12巻の「一百八法明門」を終わらせ、早く終わったら巻末の「完結にあたって」など読み、テキストが一巡したことを振り返ることにいたしました。
次々回、2月21日(土)から、第1巻の「正法眼蔵 弁道話」を開始します。
by doutetsu | 2015-02-01 12:42 | 赤心会ゼミ録
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