「一百八法明門」実践徳目/愚かでないこと。殺さないために

1月17日(土)今年第1回目の会合。
45分の坐禅の後、講義室に移っての講読は「一百八法明門」
テキスト「現代語訳正法眼蔵第12巻」163ページ。
前回記載したとおり、昨年で正法眼蔵95巻本に編纂された巻すべてと、別輯第一「仏向上事」を読み終わり、テキスト最終巻の最後の巻に入りました。
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163ページのタイトルに『別輯第二、正法眼蔵第十一、一百八法明門(十二巻本正法眼蔵第十一)』とあるようにこの巻は十二巻本正法眼蔵にのみ入っている。
その概略は冒頭「本巻の大意」により以下のとおり。
『法明とは宇宙秩序の解明を意味し、法名門とは宇宙秩序解明のための過程を意味する。そして一百八法明門とは、正真、浄心、歓喜等にはじまる百八種類の具体的な徳目であるが<略>しかしながら仏教は、元来現実の宗教、行動の宗教であって、このような実践に関する徳目こそ、仏教における生きた内容そのものに他ならない。
そしてこのような観点から道元禅師は、仏本行集経巻六に見えている一百八法明門に関する記載を引用されて、個々の具体的な実践上の徳目がじつは仏教の実体そのものに他ならないことを力説されている。』

経典の引用ではじまる。護明菩薩が人間界に降りる直前に天上界の神々に「法明門」を説こうとする宮殿の荘厳さが表現されたのち、108の項目が説示される。
その第1は、
『正信是法明門、不破堅牢心故(正信は是れ法明門、堅牢の心を破らざるがゆえに)』
(現代語訳:正しい信仰は宇宙秩序解明の出発点である。堅固な心を破ることがないから)
と「正信」からはじまり、以下
「○○(実践徳目)は法(釈尊の教え)明(はっきりさせる)門(糸口)になる、なぜなら●●だから」
という漢文が続く。
西嶋老師の現代語訳や提唱録から抜粋すると。
15項目目『非是法明門、不殺害衆生故。』 
⇒他者の不幸に悲しみを感じることは法明門である。生き物を殺すことが無くなるから。
24『実是法明門、不誑天人故。』
⇒真実を基準として生きること。神々をも人々をもだまさないことになるから。
25『真是法明門、不誑自身故。』
⇒ありのままであること。それは自分自身をだまさないということだから。
48『陰方便是法明門、知諸苦故』
⇒人の見えないところで努力すること。ほかの人々の苦しみがわかってくるから。

「殺さない」ということについては、40項目目にも『不癡是法明門、断殺生故』とある。
愚かでないことは宇宙の秩序/釈尊の教えをはっきりさせる糸口になる。それは殺生を断ち切ることだから。
西嶋老師は「われわれが無用の殺生をするのは、愚かさが原因である、という主張がされておる」と解説された。

本巻の大半をなす引用部分は釈尊が兜率天にいて真理体得者=仏になる前、護明菩薩と呼ばれていたとき、人間界に降りる直前に説いた説法という構成になっている。
そういった意味で物語であり、巻末を除けば途中に道元禅師の解説-拈提-もなされていない。
思想体系を構成するものとしては意義が薄い巻ではないか、という疑問が西嶋老師の過去の提唱の際にも受講者から呈せれらている。
しかし、西嶋老師は108の項目を実践徳目としてここでも一つひとつきちんと解説された。
それは「行いの哲学」としての仏教を学ぶ上で、自分の身に引き寄せて考える主体性があれば、他の巻と同じく自分の生死=日常生活をかえりみ、難しいながらも意義を汲み出す意欲を刺激する大切な提唱であった。

この日退出する間際に、ある出席者が言われた。
「私たちが読んできた正法眼蔵の最後にこの巻があるのも何か意味があるような気がします」

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次回は1月31日。テキスト170ページ最終行『諸入是法明門』からとなります。
by doutetsu | 2015-01-18 14:18 | 赤心会ゼミ録
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