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110917正法眼蔵『63眼睛』講読ならびに次回予定

45分の坐禅後、講読ならびにディスカッション。
【テキスト】西嶋和夫著『現代語訳 正法眼蔵第9巻』
【実施日】2011年9月17日
【講読範囲】 「63、眼睛」 79~95頁
【参加者数】 幹事含め8名
【ポイント】
<本巻の大意より>
眼睛とは眼の玉、ひとみの意。仏教においては長年の修行によって集積された真理の中心的内容、眼目の意味があり、さらに転じてはこの世の真実を見抜きえる力量の意味がある。

『眼睛なるは佛祖なり』
坐禅の経験から得るありのままに物事を見ることができる力というものが「仏」と呼ばれるものの実態である。

『六年落草野狐精、跳出渾身是葛藤(如浄禅師語録)』
釈尊は野狐につかれたように6年間迷い修行ををした結果、ある日忽然として真実とは何か承知された。人生は、現実とは葛藤である。解きほぐしがたい現実をありのままに受け取ることが究極の真実であると目覚められた。

『驀然としてボツ(足偏に孛)跳するゆゑに今朝なり』
観念や感覚の世界にとどまっているのではなく、思いきって体全体を行いの世界に投げ入れ、そのような実践の立場において初めて今日の朝というものが実感できる。行動が現在をあらしめる。

★★次回★★
『眼睛』は当日1回で終了。
次回は同テキスト『64、家常(97~114頁)』を講読の予定。
by doutetsu | 2011-09-24 09:35 | 赤心会ゼミ録
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