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ドーゲンサンガ東京・赤心会「正法眼蔵」講読記録

【テキスト】西嶋和夫著『現代語訳 正法眼蔵』
【実施日】10月2日(土)
【講読範囲】第8巻「53.無情説法」2回目68頁~88頁
【参加者数】8名
【ポイント】
■「無情説法」とは、有情でない、植物鉱物のような心理作用を伴わないものが宇宙秩序を説いているの意味。さらに、作為なく感情にとらわれない状態でこそ真実を説くことができ、聞くことができるという意味まで進めて記述されている。
 祖師の問答を取り上げ道元禅師が解説されるが、ここでも極めて難解かつ厳密な理路が展開される。
■また、82頁に
『眼処の聞声は、耳処の聞声にひとしかるべきがゆゑに、眼処の聞声は、耳処の聞声にひとしからざるなり』
という、他の箇所でもみられる『A=BゆえにA≠B』という論理(AであるがゆえにAではない)が出てくる。
『眼で声を聞くということと耳で声を聞くということは「聞く」という同じ概念で語ることができるが、言語・概念は現実を言い当てられないという真実/原理があることから、当然にふたつの具体的事実はまったく異なる』と、よむ。理路に階梯のステージアップが織り込まれる。
■74頁『法力の身心を接する、凡慮いかにして覚知しつくさん』
「説法を聞いても、理解できずすぐ忘れてしまうなら益がない、と思うのは正しい師に会ったことがないからだ。効果は身心という土壌に種として播かれ、やがて必ず成果となる。」と説かれる。
■無情の説法を聴く、とは坐禅をすること、その境地である。
西嶋老師のご説明はそれ以外ではありえない。

※次回は10月30日(土)89頁の「54.正法眼蔵法性」冒頭より講読します。
by doutetsu | 2010-10-03 14:47 | 赤心会ゼミ録
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