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赤心会ゼミ記録 51巻『密語』

「おのれを知るとき密行を知るなり」
【テキスト】西嶋和夫著『現代語訳 正法眼蔵』第8巻
【実施日】2010年5月1日
【講読範囲】51.正法眼蔵「密語」読了 3~20頁
【参加者数】10名
  ※次回15日は西嶋老師「中論」ご提唱。
   正法眼蔵講読は5月29日、テキスト20頁『仏経』になります。

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他の巻同様に難しい巻。同時に美しく、勇気づけられる巻でもある。

■本巻の大意
「密語の密は親密・秘密の密であって密語とは細密・微妙な現実世界のあり方を伝える声にならないささやきをいう。-テキストp3」
『世の中にはふたつの考え方があり、なんでもかんでも神秘的だという考え方と、物質ででききた世界に神秘的なものはなにもない、というふたつの考え方の中間が仏教。/言葉にあらわれない意図を人間は普通に感じ取ることができる。-提唱録』

■原文「いまの道取する世尊有密語、迦葉不覆藏は、<略>匪從人得なり、不從外來なり。不是本得なり、未嘗新條なり」
訳「釈尊は音にならない言葉を述べられ、それを継いだ迦葉尊者は何も隠していない。
この(雲ご禅師の)言明は、他人によって得たものでもなく、外から来たものでもなく、本来備わっているものでもなく、目新しく現れ出たものでもない。」
【解説】坐禅の境地と同じ。自分が坐禅をすることで自分自身の境地を体験する。坐禅をしなくても本来備わっているとはいえない。2千年3千年前に坐禅した人と同じ境地が我々の中にすぐにあらわれてくる。1万年、100万年、1億年前からずーっと続いてきているものが、たまたまここで足を組み手を組み世骨を伸ばすと現れてくる。




■原文「百千の世尊あれば百千の迦葉ある道理を、わすれず參學すべきなり」
【解説】人間は誰でも釈尊と同じ身体の状態を保つならば釈尊と同じ境地を持ち、その境地を人に語ることができるし、迦葉尊者と同じ境地になってありのままの姿を人々に示しているということである。

■原文「おのれを知るとき密行を知るなり」
【解説】自分自身というものをしっかりつかむことができた時点においては、人が見ていようといまいと自分はこういう行いをする、自分はこういう人生を送る、という自分自身のしっかりとした行いというものが現れてくる。

■原文「雪竇師翁示衆曰、世尊有密語、迦葉不覆藏。一夜落花華、滿城流水香」
訳「わが師匠の師匠である雪竇智鑑禅師が衆僧に説示していわれた。「釈尊には声なきささやきがあり、迦葉尊者は何物をも秘匿してはいない。昨夜は一晩中雨が降って、花を散らしてしまったが、お蔭で〈今日は〉町中に流れている水という水が、えもいわれぬ芳香を放っている。」と。

■原文「これを華雨世界起の道理とす。」
訳「これを雨が降り花が散るような現象を通じて世界が生起するという基礎理論というのである。」
【解説】花が雨に打たれたという情景の中にわれわれの世界は生まれてくる。花や雨があるという現象がわれわれが世界の中に生きていることと同じことを意味している。

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次回15日は西嶋老師「中論」ご提唱。
正法眼蔵講読は5月29日、テキスト20頁『仏経』になります。
by doutetsu | 2010-05-05 12:30 | 赤心会ゼミ録
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