2014年度ドーゲンサンガ坐禅会会計報告

ことし9月6,7日実施の坐禅会会計報告は以下のとおりです。
ご寄付を頂いたYA様、懇談会用のお菓子を差し入れて戴いたME様およびAT様、誠にありがとうございました。

【収入】
①会費 189,500
②ご寄付(YA様) 3,000
<小計> 192,500
【支出】
①可睡斎支払 163,500
②写真現像郵送 6,000
③文具・コピー 2,374
④郵送費 1,620
⑤可睡斎手土産 3,200
<小計> 176,694
《差引》 15,806

例年同様、残金15,806円は赤心会会計に繰り入れさせていただきます。
# by doutetsu | 2014-09-15 10:03 | 活動・連絡

9月の赤心会について

7月19日に第93巻「正法眼蔵 道心」の講読が終わり、現在は東大仏青の夏季休館に伴い夏休み中です。
9月以降は従来通り、第1、第3、第5土曜日に坐禅と正法眼蔵講読の会を行ないます。
ただし、9月は6日が静岡での坐禅会、20日が担当幹事の都合のため、正法眼蔵講読はありません。
したがって9月の集まりは14時半より禅室での坐禅のみとなりますのでご了承ください。
# by doutetsu | 2014-08-02 18:56 | 活動・連絡

9月坐禅会のお知らせ

本年度も以下の要領で坐禅会を実施いたします。
日時 : 9月6日(土)7日(日) 一泊二日
      6日11時現地集合、7日13時現地解散
場所 : 静岡県袋井 秋葉総本殿 可睡齋(かすいさい)
       http://www.kasuisai.or.jp/
すでにメールで連絡いたしましたが、各地のドーゲンサンガ会員で参加ご希望の方は幹事までお申し込みください。
# by doutetsu | 2014-08-02 18:47 | 活動・連絡

6月21日の正法眼蔵講読は中止となります。

6月21日は都合により、正法眼蔵の講読は中止とさせていただきます。
14時半からの坐禅は予定通り行われます。
次回は7月5日(土)、
西嶋和夫著「現代語訳正法眼蔵」第12巻、「91.唯仏与仏」後半、82ページ
からの講読となります。
# by doutetsu | 2014-06-20 18:03 | 活動・連絡

2月15日赤心会休止のお知らせ

2月15日(土)の赤心会は、天候不良と交通機関の乱れのため、休止します。
次回の開催予定は以下の通りです。

3月1日(土)
 14:30~坐禅
 15:30~講読「現代語訳正法眼蔵12巻-89.深信因果」
# by doutetsu | 2014-02-14 17:15 | 活動・連絡

老師ご逝去のお知らせ

2010年末より病気療養中だった、西嶋愚道和夫老師が1月28日にお亡くなりになりました。(享年94歳)

ご家族よりご連絡いただき、お通夜、告別式には外国人を含め日本各地より多数の弟子が集いお別れをいたしました。

ご導師を務められた曹洞宗松雲山宗清寺飯島ご住職より、遺弟達が西嶋老師の教えを伝えていくようにとお言葉をいただきました。

合掌
# by doutetsu | 2014-02-09 15:56 | 西島老師について

2013年11月2日『87巻.供養諸仏』

坐禅の後、講読会。
テキストは「現代語訳正法眼蔵11巻」。参加9名。
今回より「供養諸仏」、127ページから144ページまで講読。

この巻の奥書は道元禅師没後の「建長七年(1255年)夏安居日」とあるのみで、前の「出家功徳」同様、道元禅師の遺された草稿を懐弉をはじめとする弟子たちが浄書したものと推定される。
経典の引用が多く、今日やった範囲では、過半が仏本行集経、仏蔵経、倶舎論等からの仏への供養に関する部分の引用だった。
インド人特有(らしい)の、繰り返しの多い経典の漢訳長文を返り点に即して延々読んでいく。省略はしないのである。

仏に供養することは自らが仏になるための必須要件であり、釈尊もまた過去において諸仏に供養した。
しかし、無限ともいえる長い期間、生まれ変わるたびに世界の王として、その時代のすべての「仏」に衣食等を徹底的に供養したとしても、「ためにする心」がある限り、仏は「やがてお前も仏となるであろう」という授記はしない。

そういう内容の類似した経典が長大に引用される。

そのうえで、
金銀財宝や香華を供養されたとしても、仏にとっては何の益もない、ただ「衆生をして功徳を増長せしめんための大慈大悲なり」と解説される。

■ディスカッションより

無限の過去から何十億という仏が存在し、その仏に供養した菩薩が後世「仏」になる、という経典の内容について。
「釈尊は28才で家を出て35才で覚りを得たが6年半で覚ったというのは、いかにも短いので前世からの修行譚が付け加えられた」
「また絶対の真理であれば釈尊が生まれて初めて世の中に現れたということはありえず、永遠の過去から未来までそれはあり、その真理を体得した仏も(間を置くことはあっても)存在するという考え方」

仏教の本質をめぐって。
「正法眼蔵に繰り返し出てくる『是什麼物恁麼來道轉法輪』
つまり名づけようのない何かがここに来て宇宙の秩序を説いている。
これが本質であり、すなわち「空」ではないか」
「「空」は大乗以降の思想であって、基本は「四諦・八正道・十二因縁」ではないか」
「それも後世の追加整理によるもので、「空」という言葉はともかく「縁起」こそが本質ではないか」

輪廻について、出家について
「釈尊の教えは、バラモン教・カースト制・輪廻の確信という相互に分離しがたい当時のインド社会の基盤的体制の中で生まれている」
「『生まれによってではなく、行いによって最高の境地に達する』という主張は、職業が身分制と一体となった時代では、生産活動の埒外に出るしかない」
「輪廻という『常識』を取り込まねばインドでは浸透しなかったのではないか」
「最近の子供は生まれ変わりを自然に信じているようだ」
「それは昔も今も日本人に馴染む感覚で、たまたま昭和20年代30年代のサヨク?科学教育を受けた世代だけが信じていないのでは」
「西嶋老師は、かつて「死後」について質問されたときこう断言された。『死ねば無です。永遠の休息があるだけです』と」

仏教は西嶋老師がおっしゃるように、きわめて人間主義的な教え(唯一神も八百万の神々も政府も二の次)。
結局、個人個人が自分の人生でどうそれに取り組むかということ。
いっぽうで、本巻の提唱録には「自未得度先渡佗」を問われた老師の次の言葉がある。
『毎日坐禅をしておると、自分と他人の区別がなくなるということが実情としてあると思います』

次回は11月16日、供養諸仏の続き。
# by doutetsu | 2013-11-05 04:40 | 赤心会ゼミ録

9月21日「出家功徳」第1回

9月21日。坐禅の後、今日から「86.正法眼蔵出家功徳」に入る。「現代語訳正法眼蔵11巻」69ページから。
‘本館の大意’より。
『本巻では、諸経典その他の中から、家庭生活を離脱することによる効用を述べている章句をかなり広範囲に抽出し、それに禅師ご自身の註釈を付けられることにより、家庭生活を離脱することが、仏道を学ぶ上においていかに大きな効用をもたらすかということを繰り返し述べておられる。』
■本文は大智度論、龍樹尊者の言説の引用から始まる。
・在家の戒であっても得道することができるが稼業が足かせとなり、専一に修行できる出家とくらべてはるかに困難である。
・遊女があるとき座興に尼僧の格好をしたところ、それが縁となってやがて出家し、また戒を破って地獄の境涯に落ちたものの、罪を償い終えて釈尊のもとで阿羅漢となった。
・酒に酔ったバラモン僧が出家を願い出て頭を剃られ袈裟を受けたが、酔いが醒めて驚いて逃げた。酔っての願いであってもこの因縁によってバラモン僧がいつか出家得道することを釈尊は知って願いを許したのだった。
道元禅師は、一瞬の座興にまとった袈裟、ひとときの酔中の出家志願が得道をもたらす、いわんや一生の寿命をそこに振り向けて(原文:めぐらせて)する出家がそれに劣るはずがない、と説く。
世界を統治する叶わぬことは何もない転輪聖王も頭に一筋の白髪が生じたら、太子に位を譲り出家するのがならいである。
『まことにその発心得道、さだめて刹那よりするものなり』
真実を知りたいと願うことも、真実を得る事態も、すべて瞬間からたちおこる。
 『今生の人身は四大五蘊因縁和合してかりになせり』
人間は、物質と意識作用という直接間接の原因が仮に和合したものであり、世界とともに瞬間瞬間に生起消滅を繰り返している。刹那生滅の道理があるから衆生は善悪の業をなし、また発心得道にもいたる。
はかないわが身をどんなに惜しんでも、昔から世にとどまった者は誰もいない。自分のものと思っても思い通りにならず自分のものとも言えないわが身であるが、このわが身を振り向けて(原文:めぐらせて)出家受戒するとしたら最上絶対の境地を得ることができる。
■■
ディスカッションでは、「本巻においても出家せよ出家こそが大事と説かれるが、出家が何かは説かれていない」という発言があった。

西嶋老師は過去の提唱の中で、
出家の内実とは、名利を離れることであり、世間の基準や自分の固定的な価値観から脱すること。繰り返し脱し続けること。
端的にいえば、坐禅。
生産力の低かった昔と違い、現代にあっては誰でも毎日坐禅ができる。
と、解説されている。
■■■
仏教が行い中心の教えだとすると、出家もまた行いの側面から考えるべきなのかも知れない。
アプリオリに、確定的な、自分はない。
自分の体と時間を、出家・受戒・修行に‘めぐらせ’ることが‘仏果’(83ページ)

次回は10月5日。88ページからになります。
# by doutetsu | 2013-09-29 17:41 | 赤心会ゼミ録

坐禅会について(会計訂正と感想追記)

9月8日に掲載した会計に一部あやまり(参入漏れ)がありましたので、訂正いたしました。
また、参加者の感想が追加で届いた分は、都度追加記入してあります。
ご参照ください。
# by doutetsu | 2013-09-29 17:36 | 活動・連絡

2013年坐禅会感想記録

A・F氏:アップルの前のCEO、スティーブ・ジョブズのモットー「毎日を、その日が自分の人生の最後の日と思って生きる」
もし今日が自分の人生の最後の日だと分かったら、今日やろうとしていることが本当に自分のやりたいことなのか?いつもこのように問いかけたい!!。自分に。

T・Y氏:1.「ドーゲンサンガ」「道元僧伽」を頭に着け、その後に所属の名称をつけると西嶋老師の説かれる仏教哲学が鮮明になりはしないだろうか。たとえば道元僧伽高知。/1.釈尊の説かれる仏教を私どもの宗派ではこのように理解しております。それによると仏教は・・・。前段をとばして仏教はと説かれるので混乱するのでは。異なるものに同じ仏教の名称をつけるからではないだろうか。/1.坐禅という名称は誰でも知っています。「どのように坐るのですか」と問えばまちまちの答が返ってきます。私は「普勧坐禅儀」にもとづく坐禅だと思っております。

M・Wさん:今年も有意義な時間を過ごさせていただきました。本当にありがとうございました。これからも素敵な時間でありますように。

T・S氏:久しぶりの接心でした。集中的に坐る事のここち良さを味わうことができました。1泊2日という日程は少し物足りなさを感じております。初日の皆さんとの交流会はたいへん有意義でした。西嶋老師のお話もおうかがいできたのは収穫でした。幹事の皆さんありがとうございます。

R・H氏:可睡齋坐禅会に参加して。久しぶりに坐ることができました。多少の不安もありましたが、なんとか坐ることが出来ました。皆様にお会いできて、楽しい一泊でした。

I・S氏:二回目で少しは馴れた可睡齋。ドーゲンサンガいついつまでも。幹事の皆さんいろいろありがとうございました。

Y・A氏:昨晩の夜坐のとき、秋の虫の音が、坐禅中に大変印象的でした。

Y・S氏:今年始めて、結跏趺坐ができました。感謝です。目標は朝・夕の45分結跏趺坐の坐禅の実践です。来年が楽しみです。昨年、山形県の玉川寺で坐禅をしました。行動の巾が広がりました。

T・I氏:緊張しました。1日目の夜、内単での僧侶と一緒の1柱、薄暗く、厳かななかで、張り詰めた空気。こういう中でも、独座大雄峰といきたいものです。

M・K氏:本格的な座禅会で僧侶の方々と一緒の生活を体験でき感激しました。①坐禅の基本姿勢の大切さを体得できました。家に戻っても基本姿勢を大切に実行します。②懇談会での皆様のお話に感心しました。熱心さと仏教に対する愛着迫力に圧倒されました。③皆様の本会活動、参加継続のエネルギー源、動機etc.又機会があればお聞かせいただけたらと思います。今回の坐禅会に参加させて頂き、大変お世話になりありがとう御座いました。

Y・T氏:西嶋老師の仏法を断絶させない方策は何か。その最良の道はドーゲンサンガではないか。

A・Tさん:昨年に続き、可睡齋での二回目の坐禅会。充実した二日間でした。なつかしい方々にもお会いでき、うれしく思いました。

K・Eさん:又、皆さんにお会いできて嬉しかったです。ありがとうございました。

M・E氏:一年ぶりの坐禅会。皆様(特に後期高齢者、女性)のパワーにビックリしました。日本を支えるのは高齢者であることを実感しました。毎日の坐禅でさらに前頭葉(意思力)を強化すれば「鬼に金棒」。 今は若い私も「パワフルな老人仲間に加わりたい」という思いを強くしました。幹事の皆様ありがとうございました

H・Sさん:年を経るごとに、唯、参加出来ることの有難さを感じています。西嶋先生のご無事を遠くからお祈り申し上げております。
# by doutetsu | 2013-09-16 19:15 | 活動・連絡