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「正法眼蔵 嗣書」終了 ’法は時間を超えて’

17日本郷。まず45分間の坐禅。
講義室で「正法眼蔵17.嗣書」3回目の講読。
嗣書とは、釈尊以来、代々真実を得た「仏祖」の証として師から弟子へ伝えられた書状。
道元禅師が日本では見ることのできなかった嗣書を宋で何種類か目の当たりに見た見聞が感動とともに記されています。

ある寺院を尋ねたところ、住職が話の途中でやおら嗣書を見せてくれる、と言う。
親しい者にも侍者にも見せない嗣書をみせよう、というのは。
数日前に住職の夢に大梅法常禅師が現れ、梅花の枝を差し出しこう言った。
「船で渡って来た真の人物がいたら華を与えるのを惜しんではならない」
道元禅師がその人だと確信した住職は嗣書を見せ、さらに自分から嗣法したければそれも惜しまない、と申し出ます。
道元禅師は「仏祖の冥資にあらざれば見聞なほかたし」と、感涙で袖を濡らします。
(その機にあらず、と思われらしく、嗣法は受けませんでした)
この話は
「帰国よりのち、いまだ人にかたらず」とのこと。

道元禅師の真の師となった天童如浄禅師が、
「釈尊と迦葉仏(伝説の過去七仏のひとり、釈尊の前に置かれる)とで法の授受が行われた」と言うのを聞いて、道元禅師が質問したいきさつが末尾のエピソード。
「太古の昔の祖師に釈尊が嗣法したというのはおかしいのでは?」
と(率直に)質問します。答は
「なんぢがいふところは(略)わが仏仏嫡嫡のみちにあらず」
仏教の説く真実が釈尊から始まったとするなら、今までわずか40代。新興の教えということになる。しかし法は永遠の真実である。
だから釈尊から(伝説の)迦葉仏に嗣がれ、迦葉仏から釈尊に嗣がれたと学ぶのだ。
「道元そのときはじめて仏祖の嗣法あることを稟受するのみにあらず、」
さらに、古い狭苦しい境地を脱することができた、と語られます。

本巻は1241年に「記ス」書かれ、1243年にあらためて「華押(花押)」サインがされています。
衆僧に説かれることもなく、道元禅師が書きとどめ、正法眼蔵の中でこれのみ華押がなされているそうです。
道元禅師にとってなんらか特別な記述書面だったのでしょう。
※※※

釈尊以来、ましてや過去七仏以来の「真の法統」が書面で残っている、というのはフィクションに違いありません。
しかし少なくとも千年を超える期間に実在した真摯な仏道修行者の名前が列記されたものではあると思います。
(西嶋老師より戴いた私たちは、その全員のお名前を筆写しています)

原始仏典から推察される「釈尊の教え」のありようと、中国経由で日本にわたり「真実」を求めて磨かれてきた伝統仏教の相違。学ぶひとりとしての実感値。
最近さまざまに取り上げられるようになった、かなり難しく、同時にはなれがたいテーマです。
by doutetsu | 2017-06-23 07:37 | 赤心会ゼミ録