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今後の予定(30日ナシ/9月予定/追善坐禅会)

7月30日(土)の第5土曜日は、会員協議の上休会としました。
8月は東大仏青が夏季休館となるため、次回の「坐禅と正法眼蔵研究会の開催は、9月以降の第1、第3土曜日となります。

なお、9月3日(土)、4日(日)は「西嶋老師追善坐禅会/お墓参り」を予定しています。
9月3日(土)は通常の坐禅・購読は行いません。午前中から坐禅をはじめ、午後は坐禅、法要、懇談会の予定です。
※参加要領については個別に連絡しておりますので、何かあれば当ブロガーにメールにてご連絡ください。

9月17日(土)は従来通りの開催。
14:30から45分間の坐禅、その後「正法眼蔵 袈裟功徳」提唱(音声)聴講。
テキストは西嶋和夫著「現代語訳 正法眼蔵 第2巻」。86ページの、前節で引用した悲華経(袈裟の「五聖功徳」)への道元禅師の解説から、になります。
by doutetsu | 2016-07-30 00:03 | 活動・連絡

正法眼蔵と輪廻 西嶋老師は


「袈裟功徳」の提唱録に残された質疑応答で、「中有」という用語の使い方が、他の巻で読み取れる‘生まれ変わりの否定’と矛盾している、というやりとりに関連して。
7月16日の提唱(音声)聴講後のディスカッションの際、「仏教思想のゼロポイント」の著者である魚川祐司氏の「『ブッダは輪廻を説かなかった‘はずだ’』論批判」を振りかえりました。(ニー仏(魚川祐司)「だから仏教は面白い」から)

いわく。
輪廻否定派の言説の例に、『仏教では「無常・苦・無我」を謳う。無我なのに何が輪廻するのか』というものがあるが、無我と輪廻は矛盾しない。
無常:現象世界はすべて‘縁生’であり、因縁によって変転し続ける。
苦:すべて変転する以上、満足状態にとどまることは不可能。
「苦=不満足」の繰り返しになる。
無我:変転極まりない現象世界で‘常一主宰’の我は存在しない。

不変の主体が生まれ変わることが輪廻ではない。すべてが変転していく(輪廻する)中のある部分を切り取って、‘ある個人の一生’とみなすことができるに過ぎない。
ということのようです。

加えて、インド思想における「業」の概念。
インド思想において人間の行い=「業」は必ずあとあとに影響する。潜勢力を持つ。
これは西嶋老師が「仏教は行いを中心とする教えである」と説かれる際の説明とも共通します。
魚川氏は著書で、(西嶋老師も著作を読んだと言われた)木村泰賢博士の輪廻の説明を提示します。その概略は..。

Aという個人が死んでもその人間が人生の瞬間瞬間(A1、A2、A3・・・An)に行った「行い」は必ず影響を残す。
その影響aは‘次の’生存者であるBに及び、そのときBの生涯はaB1からスタートする。
Bmで死んだBの業はCの(初期)設定に影響し、すなわちbC1となる。
以後繰り返し。
これが輪廻だ、と。
はたして腑に落ちるか、という話になりました。

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「私の生涯」は現象世界に生起するなにごとかの部分に過ぎない。
たしかに。
一方で、今ここにいある「私」の実存の実感はかけがいがない。

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関連して思いだす西嶋老師の言葉をいくつか。
「ないです。死ねば永遠の休息があるだけ」(「死後の世界はあるか」と聞かれて)
「断見≒唯物論も外道、常見≒観念論も外道」
「我々ひとりひとりの行いは宇宙の歴史に永遠に刻まれる」

‘私の’死後はあるか、と聞かれれば、「わからない/ゼロ回答」というのが妥当解とされるけれども、「無い」という言明のほうがより‘正しい’、というお考えだったのでしょうか。
by doutetsu | 2016-07-29 23:58 | 活動・連絡

7月16日 正法眼蔵「袈裟功徳」

7月16日(土)坐禅の後、講義室で前回に続き西嶋老師の提唱音声を聴講。

テキストは『西嶋和夫著 現代語訳 正法眼蔵 第2巻』
「12.袈裟功徳」の4回目。「袈裟功徳」はテキストでは76ページ、29節に分けて掲載されている長大な巻です。

巻頭49ページ<本巻の大意>より。
『本巻においてはその袈裟の中、第二十八祖の達磨大師が印度から支那に伝えられたものこそ、正統の袈裟であることを主張され、その袈裟の効用、かけ方、洗濯の方法について述べられている』
1979年2月の提唱で西嶋老師はこう述べられています。
『普通『正法眼蔵』の提唱をやる場合こういう宗教的な伝統に関係した巻はやらない。(略)「現成公案」であるとか、「諸悪莫作」であるとか、やりがいのある、哲学的に難しそうな、おもしろそうなのだけがやられる。ただ『正法眼蔵』というのは、こういう「袈裟功徳」のようなそう理論的でない、そう哲学的でない巻も読まないと全体の意味がとれない、というふうに私は感ずる。だからこういう巻も抜かさずにやるということになる』
そういう巻ですので、西嶋老師の提唱をそのまま聴講することにして、進めています。

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16日は78ページの「袈裟を浣う法」からはじめ、80ページの悲華経巻八「諸菩薩本授記品」からの長い引用(袈裟の5つの優れた効用)まで老師音声を聴講しました。

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この部分が納められた提唱記録に(提唱録2巻上P232)、「袈裟功徳」の巻に出てくる「中有」と言う言葉についての質疑応答が記載されています。
語註に「中有=意識を持つ生きものが、死の瞬間から次の世に生を受けるまでの中間の時期」とあるが、「現成公案」の巻の「薪は灰となる、灰は薪とならない」といった解説と矛盾があるのではないか、というものでした。
道元禅師は(正法眼蔵は)輪廻があるということを肯定していたのか否か、という疑問であったと思われます。
この点についてのディスカッションはま別項で。
by doutetsu | 2016-07-29 23:09 | 活動・連絡