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2015年洞慶院坐禅会実施

今年のドーゲンサンガの坐禅会は4年ぶりに静岡県羽鳥の「久住山 洞慶院」で開催することができました。
8月29日、30日の1泊2日、参加者は16名でした。

多年にわたりお世話になったご住職の丹羽鐡山老師は昨年遷化されました。
現ご住職の丹羽義雄老師が入山されるまで、現在、丹羽崇元老師が監寺和尚としてお寺をまもっておられます。

我々にとって久しぶりの洞慶院は要所要所が補修され、新しくなり、一層「居心地」の良い環境となっていました。
1泊2日の間に以前の差定どおり7炷(7回)の坐禅を行い、懐かしい雲堂で、ひぐらしや時折激しい雨の音を聴きながらじっくり坐ることができました。
懇談会では西嶋愚道和夫老師の追悼文集が配布され、各地のサンガの活動や参加者の取り組み、感想など和やかな中にも活発な懇話が行われました。

以下に簡単な収支報告を付記します。

【収入】
会費        176,000円
ご寄付HS様    10,000円
<計>       186,000円
【支出】
お寺へ(食費他) 138,000円
蒲団代        17,000円
写真現像郵送     6,000円
発送雑品茶菓等   15,570円
<計>        176,570円 
【残高】         9,430円

残額は赤心会会計に繰り入れさせていただきます。
by doutetsu | 2015-08-30 20:17 | 活動・連絡

7月18日「現成公案」 夏季休館へ

7月18日、夏休み前の最後の回で「現成公案」の巻を読み終えました。

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テキスト(西嶋和夫著『現代語訳正法眼蔵第1巻』)83ページ。
「三.正法眼蔵 現成公案」
本巻の大意より
「<略>現成公案とは行為に関連して現実世界にいきいきと躍動する宇宙秩序のことをいい、本巻は道元禅師の御立場からこの宇宙秩序を極めて端的に叙述されている」

本巻も非常に有名な巻であり、注・解説が多く行われている。
例えば「南直哉『正法眼蔵を読む』2008講談社」では「本書においては「現成公案」を中心に読む(p22)」としている。


西嶋老師は、この巻を独自の「四諦=仏教的弁証法」の視点で「明快に」読み解かれている。この巻において特に冒頭の4文にその観点が打ち出されているとされる。

「諸法の仏法なる時節、すなはち迷悟あり、修行あり、生あり死あり、諸仏あり衆生あり。
 【主観的/観念論的】
「万法われにあらざる時節、まどひなくさとりなく、諸仏なく衆生なく、生なく滅なし。
 【客観的/唯物論的
「仏道もとより豊倹より跳越せるゆゑに、生滅あり、迷悟あり、生(衆生)仏(諸仏)あり。
【行為論的】
「しかもかくのごとくなりといへども、華は愛惜に散り、艸は棄嫌に生ふるのみなり。
【現実】

余談だが、当ブロガーにはたいへん難解と思える南直哉著『正法眼蔵を読む』において、
「自他二元論の無効」「行いによる自己と世界の同時生成」「修行こそが現実性を保証する」
といった説明があり、これは西嶋老師の教えとおおいに重なる部分があるように思える。
複数テキストの表面的な類似が妥当性を根拠づけるものとはならないとしても、「正法眼蔵」に
「二元論の超越/行為の重視/修行がすべて(根拠・目標・当為・基準)である」
といった主張があることは間違いないように思われる。

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巻中には他にも美しく力強い、心に残る文章・フレーズが多い。

「自己をはこびて万法を修証するを迷とす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり」
「仏道をならふというは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり」
「生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり」
「人の悟をうる、水に月のやどるがごとし、月ぬれず、水やぶれず」

我々が心身をあげて対象を見、聞きしても「かがみにかげをやどすごとくにあらず、水と月のごとくにあらず」とある。
魚川祐司氏が翻訳されたウ・ジョーティカ『自由への道』にも、世界をありのままに受けとめることは、恣意や無意識的選択がなくすべてを鏡にものがうつるように受け取ること、と説かれていた。

「人もし仏道を修証するに、得一法通一法なり、遇一行修一行なり」
これについてかつて西嶋老師が
「仏道を実践し体験するということは、ひとつの行いに会いそれをやっていくだけだということです」
と解説されたことが強く印象に残っている。

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東大仏青の夏季休館のため、次回は9月5日からとなります。
テキスト97頁「四.正法眼蔵 一顆明珠」を予定しています。
by doutetsu | 2015-08-11 16:12 | 赤心会ゼミ録