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2013年11月2日『87巻.供養諸仏』

坐禅の後、講読会。
テキストは「現代語訳正法眼蔵11巻」。参加9名。
今回より「供養諸仏」、127ページから144ページまで講読。

この巻の奥書は道元禅師没後の「建長七年(1255年)夏安居日」とあるのみで、前の「出家功徳」同様、道元禅師の遺された草稿を懐弉をはじめとする弟子たちが浄書したものと推定される。
経典の引用が多く、今日やった範囲では、過半が仏本行集経、仏蔵経、倶舎論等からの仏への供養に関する部分の引用だった。
インド人特有(らしい)の、繰り返しの多い経典の漢訳長文を返り点に即して延々読んでいく。省略はしないのである。

仏に供養することは自らが仏になるための必須要件であり、釈尊もまた過去において諸仏に供養した。
しかし、無限ともいえる長い期間、生まれ変わるたびに世界の王として、その時代のすべての「仏」に衣食等を徹底的に供養したとしても、「ためにする心」がある限り、仏は「やがてお前も仏となるであろう」という授記はしない。

そういう内容の類似した経典が長大に引用される。

そのうえで、
金銀財宝や香華を供養されたとしても、仏にとっては何の益もない、ただ「衆生をして功徳を増長せしめんための大慈大悲なり」と解説される。

■ディスカッションより

無限の過去から何十億という仏が存在し、その仏に供養した菩薩が後世「仏」になる、という経典の内容について。
「釈尊は28才で家を出て35才で覚りを得たが6年半で覚ったというのは、いかにも短いので前世からの修行譚が付け加えられた」
「また絶対の真理であれば釈尊が生まれて初めて世の中に現れたということはありえず、永遠の過去から未来までそれはあり、その真理を体得した仏も(間を置くことはあっても)存在するという考え方」

仏教の本質をめぐって。
「正法眼蔵に繰り返し出てくる『是什麼物恁麼來道轉法輪』
つまり名づけようのない何かがここに来て宇宙の秩序を説いている。
これが本質であり、すなわち「空」ではないか」
「「空」は大乗以降の思想であって、基本は「四諦・八正道・十二因縁」ではないか」
「それも後世の追加整理によるもので、「空」という言葉はともかく「縁起」こそが本質ではないか」

輪廻について、出家について
「釈尊の教えは、バラモン教・カースト制・輪廻の確信という相互に分離しがたい当時のインド社会の基盤的体制の中で生まれている」
「『生まれによってではなく、行いによって最高の境地に達する』という主張は、職業が身分制と一体となった時代では、生産活動の埒外に出るしかない」
「輪廻という『常識』を取り込まねばインドでは浸透しなかったのではないか」
「最近の子供は生まれ変わりを自然に信じているようだ」
「それは昔も今も日本人に馴染む感覚で、たまたま昭和20年代30年代のサヨク?科学教育を受けた世代だけが信じていないのでは」
「西嶋老師は、かつて「死後」について質問されたときこう断言された。『死ねば無です。永遠の休息があるだけです』と」

仏教は西嶋老師がおっしゃるように、きわめて人間主義的な教え(唯一神も八百万の神々も政府も二の次)。
結局、個人個人が自分の人生でどうそれに取り組むかということ。
いっぽうで、本巻の提唱録には「自未得度先渡佗」を問われた老師の次の言葉がある。
『毎日坐禅をしておると、自分と他人の区別がなくなるということが実情としてあると思います』

次回は11月16日、供養諸仏の続き。
by doutetsu | 2013-11-05 04:40 | 赤心会ゼミ録