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4月7日『正法眼蔵 如来全身』

テキスト:西嶋和夫著 現代語訳正法眼蔵第9巻 221頁 「71.如来全身」
参加者:7名。

■P221本巻の大意より
「如来全身とは、釈尊の身体全体という意味である。そして本文中に、「しりぬ、経巻はこれ如来舎利なり、如来全身なりといふことを。」とあるから、如来の全身とは、仏教経典のことを意味していると解される。しかしさらに本文中には、「経巻は、実相これなり。」とあり、また「而今の諸法実相は経巻なり。人間・天上・海中・虚空・此土・佗界、みなこれ実相なり、経巻なり、舎利なり。」とあるから、ここにいう経巻とは、話法の実相に他ならない。つまり、経巻とは、話法の実相であり、その話法の実相が如来の全身であるという主張を、法華経の法師品・如来寿量品・提婆達多品における諸文を引用しながら説かれたものが本巻である。」

内容の紹介は本巻の大意に尽きる。

p225
「而今の諸法実相は経巻なり。
人間・天上・海中・虚空・此土・佗界、みなこれ実相なり、経巻なり、舎利なり。
舎利を受持・読誦・解説・書写して開悟すべし」
この世界が「ほんとう」であると思い定め、今、この瞬間の世界にかかわり、生きる以外に人間にとって「正しい=幸せな」ことは原理的にありえない。

法華経は「この経は凄いから凄いんだ」という主張と、寓話しか書いていない、とする見方から、
’この経典を完全に肯定し、礼拝せよとうのは眼蔵の本旨に合わない気がする’
という意見があった。
正法眼蔵では巻ごとに見かけの主張が著しく異なることが多々ある。
現にこの『如来全身』と同日に示衆された『三昧王三昧』では
「祇管に打坐せば始めにして得たり、焼香・礼拝・念仏・修懺・看経を要せず」
という、’経典などより坐禅’という、先師如浄のことばを真理として挙げている。
正法眼蔵を読むにあたっては、(そのとき理解できる範囲で)自分の主体的な行いにつながる著者の宣明をくみ取ることしかできないのではないか。
世界にも人生にもアプリオリに意味はない。覚悟して生きることに意味がある、としか言いようがない。
などなど。

次回は、4月21日。9巻の最後『三昧王三昧』を読了する予定。
by doutetsu | 2012-04-07 20:05 | 赤心会ゼミ録

2011年度会計報告

ドウゲンサンガ赤心会の2011年度の会計処理は以下の通りです。
※本体会計より当面の運営費として寄託された金額の推移

■前期繰越金    215,604
 参加費収入     55,400
 図書未入金補填  -5,400
 洞慶院関連    -10,277
 団体手土産     -2,100
 通信事務費     -4,460
■次期繰越金    248,767

               以 上
by doutetsu | 2012-04-01 10:58 | 活動・連絡