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12月4日「法性」

テキスト西嶋和夫著「現代語訳正法眼蔵」第8巻
五四、正法眼蔵 法性 『行いにより世界は起動される』

法性(ほっしょう)。Dharma・ta。法-の-性質。

いわれるところ「法」は多義であり、「法性」を「存在様態」とする解説もあるが、西嶋老師は「宇宙の実体」と訳された。

この短い巻で道元禅師は段階を分けて「法性」を説かれている。

・人間の生まれながらの精神機能が発動され、主体的な努力があれば必ず「法性」と一体となれる。
・日常生活での言動感受思考が「法性」である。
・今目の前のここが「法性」である。
・この世界の背後に「本質」があるという考えは否定されなければならない。
・現在の瞬間の「行い」だけが、「法性」を「法性」たらしめ「法性」の実体験をもたらす。
これは「法性」ではあるまいという言動もすべて「法性」である。(いいかえれば自分の言動は宇宙の実体として顕現させるものである)
・『「法性」とは一体何か』という問いを『それは(言葉で語れぬ)何かである』という命題として繰り返し追究せよ。

これは、西嶋老師の一貫したご主張と重なる。すなわち
・隠れた「本質」はない。
・すべての存在が存在である。
・実在するのはこの瞬間における自分の「行い」のみ。

原文冒頭p89
『あるいは経巻にしたがひ、あるいは知識にしたがひて、参学するに無師独悟するなり』
⇒あるときは経典を読み、あるときは師について学ぶことで、真実を「自分が/自分で」悟るのである。
生まれながらに共通して持っている「生知(しょうち)」によって、学ぶ意欲を持ち、経典を求め師をもとめ坐禅をすることで「法性(ほっしょう)」=宇宙の実体を体験する。
それは「ご飯ができたよ」「お茶をお飲みなさい」といった日常の言語動作につきる。
P89『そのていたらくはいま見聞する三界十方撲落してのちさらに法性あらはるべし(略)と邪計するなり』
⇒(長年寺院にいようとも愚かな者の)ありさまは、目の前に広がる世界が消え去ったのちに初めて「法性=世界の’本質’」はあらわれるものと誤って考えている。
※現実世界の背後に眼に見えない本質がある、という見方は否定されなければならない。

P94『即今の遮裏は法性なり。法性は即今の遮裡なり』
※宇宙の実体は何かといえば、現在のこの瞬間におけるこの場所である。

P94『もし着衣喫飯せず、言談祗對せず、六根運用せず、一切施爲せざるは、法性三昧にあらず』
⇒着物を着たり食事をしたり、言葉を交わしたり応答したり、眼・耳・鼻・舌・皮膚・感覚中枢の六つの感覚機関を活用したりする一切の行為を行なうことがないならば、宇宙秩序の実体にと一体化することにならない。
※「法性三昧」とは-宇宙の実体と同じ境地になるとは-われわれが身体を動かして何らかの動作をするということの中にはじめて生まれてくる。
今この場所の「行い」だけが「世界」を切り開き立ち上げる

  ■ ■

解説終了後、
「犯罪も過誤もあるこの世界が「法性」ということになる。そのなかで倫理はどこから来るか」
をめぐってディスカッションがあった。
利己的遺伝子説も含め、人間社会に倫理を根拠づけたい/有意義化したいという志向があることは否定できない。
by doutetsu | 2010-12-12 14:37 | 赤心会ゼミ録

11月20日ご提唱記録

11月20日土曜日、東大仏青において今年最後の西嶋老師による「中論特別御提唱」が行われました。

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範囲は『根本的な中論の歌』第17章「行為と結果の融合に関する検証」第18頌(96頁)から第26頌(100頁)まで。
冒頭、
「仏教は行いを中心とする教えである。口先で何かを言うのも、外界の刺激を楽しむのも簡単だが、現在の瞬間の行いにこそ価値がある」
というお話がありました。

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西嶋老師の最近のお仕事として、「中論」日本語版現代語訳の再々改訂は完成し、金沢文庫に校正原稿を渡して出版を待つ状況。現在、英語版についてもさらに改訂を進めておられます。
来年度のご提唱・ご講義についてはこうしたお仕事とご体調を勘案しながら相談させていただく予定です。

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ご提唱終了後、少し早めのお誕生祝いとして花束をお贈りしました。今年で満91歳となられた老師の元気な声と姿に接することができたことは、教えを受ける私たちにとっても大きな喜びといえます。
by doutetsu | 2010-12-02 23:19 | 老師「中論」御提唱