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本日10月30日(木)中止のお知らせ

本日の東大仏青「坐禅と正法眼蔵研究の会(日本語の会)」は台風14号の影響による強い風雨の予報があるため中止いたします。

年内の今後の予定は以下のとおりです。
11月 6日 坐禅の後、懇談会
11月20日 同、西嶋老師『中論』特別ご提唱
12月 4日 同、『正法眼蔵』講読「法性」 
12月18日 同、『正法眼蔵』講読「陀羅尼」(予定)

11月6日は幹事担当の都合により正法眼蔵講読のかわりに参加者による懇談会を予定しています。
by doutetsu | 2010-10-30 11:10 | 活動・連絡

10月16日「中論」ご提唱記録

テキスト:『根本的な中論の歌』ナーガールジュナ著、西嶋和夫訳
「17章 行為と結果との融合に関する検証」第1頌より96頁第17頌まで。

冒頭、「釈尊の教えは実在論であり、それは古い経典に伝えられる、尊が悟りをひらかれたときの言葉-『山川草木一切成仏』にあらわれている」というお話があった。

「行為と結果の融合。すなわち、どこまでが行為でどこからが結果かは判然としない」

第1頌『霊魂の存在に対する否定的な態度が、優れた判断であり、霊魂を助長する考え方から遠ざかることが、正に優れている。
あらゆる生物に対する友愛感情が、正に現実の宇宙における原則であり、結果としての種子は、正にこの世に於ける来世である』

第6頌2行目『自分自身を抑制するという努力だけが、自分自身を抑制させる事実を齎(もたら)すのであるから、現実の事態が、何らかの結果を生みだすという事実は将来といえども起こり得ない』

関連解説
「自分をコントロールできるのは自分だけ。人の真似をしていれば無難と思うのは間違いで、人生は自分で考え、決め、動かしていくもの」
「言葉ではどのようにも言えるが、言葉は現実ではない」
「仏教徒にとって、何をやるかは自己責任。世の中に唯一存在するのは我々の行いのみ」
「自分が良い行いをひとつすれば宇宙がひとつ良くなるのであり、悪い行いをすれば宇宙が悪くなるということ」
「実行すること。継続することが大事」

■次回は11月20日(土)96頁、第18頌より。
年内の西嶋老師によるご提唱は、この日までとなります。
by doutetsu | 2010-10-24 23:40 | 老師「中論」御提唱

2010年秋老師関西ご巡錫

10月9日、10日の1泊2日で西嶋老師の関西ご巡錫/「中論」ご提唱の会がドウゲンサンガ大阪代表K・Gさんのプロデュースで実施された。
関西のドウゲンサンガの面々にドウゲンサンガ愛知のI・Sさんも加わり15名が参加。
著書『根本的な中論の歌』をテキストとして、
第12章.苦しみに関する検証
第13章.現実の行いに関する検証
を提唱され、活発な質疑応答が行われた。
ドウゲンサンガ正眼会のT・Oさんが今回もすべてDVDに記録された。
■ ■
2日間にわたりお伴をして、最後東京駅から目白の老師のお宅へ向かうタクシーの中で、懲りずに概念的なことをお尋ねした。以下、ご参考までに録音からのメモを抜粋します。

Q.仏教は哲学として無矛盾だと証明されているのでしょうか?
A.固定的な考えがなくなったときに現実が残る。現実以外のものを信じることは無理がある。残った現実だけが信仰の対象として残る、ということ。

Q.「現在の瞬間の行いだけが実在」というのは「人間にとっては」ということか?
A.人間に限らず宇宙全体にそういう価値観がある。現在の瞬間の実情が真実そのもの。「過去」や「未来」という言葉の意味と本質的に違うものを「現在」は持っており、「現在」は時間だけれども、「過去」「未来」は時間ではない。

Q.現在の瞬間の「行い」だけが実在だということの意味は?
A.「行い」と「時間」はひとつのものの裏表だという見方になる。
Q.「正法眼蔵有時」における「存在と時間がひとつのもの」という解説と関係するか?
A.思想的には同じもの。

Q.そのことは生きていくうえでどういう意味があるか?
A.そういう考え方しか持てないところにいきつく。人生は現在の瞬間における行いだという原則を否定できないというところから仏教思想は成立する。
Q.人間の幸せとの関係は?
A.現実に従っていることが最高の幸せという主張になる。抽象的にいえば現在の瞬間において自律神経がバランスしていることが最高の幸せ、となる。

■ ■

来月老師は91歳になられる。杖を使うようになられたが、相変わらず声はたいへんお元気である。ご提唱でお疲れになったかお伺いしたところ、
「こういう話(講義を)をするのは好きなので苦にはならない」とのお話だった。
老師のいつものお心遣いかもしれないけれども。

※次回西嶋老師ご提唱は10月16日(土)東京大学仏教青年会を予定。
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by doutetsu | 2010-10-12 00:59 | 老師「中論」御提唱

ドーゲンサンガ東京・赤心会「正法眼蔵」講読記録

【テキスト】西嶋和夫著『現代語訳 正法眼蔵』
【実施日】10月2日(土)
【講読範囲】第8巻「53.無情説法」2回目68頁~88頁
【参加者数】8名
【ポイント】
■「無情説法」とは、有情でない、植物鉱物のような心理作用を伴わないものが宇宙秩序を説いているの意味。さらに、作為なく感情にとらわれない状態でこそ真実を説くことができ、聞くことができるという意味まで進めて記述されている。
 祖師の問答を取り上げ道元禅師が解説されるが、ここでも極めて難解かつ厳密な理路が展開される。
■また、82頁に
『眼処の聞声は、耳処の聞声にひとしかるべきがゆゑに、眼処の聞声は、耳処の聞声にひとしからざるなり』
という、他の箇所でもみられる『A=BゆえにA≠B』という論理(AであるがゆえにAではない)が出てくる。
『眼で声を聞くということと耳で声を聞くということは「聞く」という同じ概念で語ることができるが、言語・概念は現実を言い当てられないという真実/原理があることから、当然にふたつの具体的事実はまったく異なる』と、よむ。理路に階梯のステージアップが織り込まれる。
■74頁『法力の身心を接する、凡慮いかにして覚知しつくさん』
「説法を聞いても、理解できずすぐ忘れてしまうなら益がない、と思うのは正しい師に会ったことがないからだ。効果は身心という土壌に種として播かれ、やがて必ず成果となる。」と説かれる。
■無情の説法を聴く、とは坐禅をすること、その境地である。
西嶋老師のご説明はそれ以外ではありえない。

※次回は10月30日(土)89頁の「54.正法眼蔵法性」冒頭より講読します。
by doutetsu | 2010-10-03 14:47 | 赤心会ゼミ録