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6月28・29日 老師関西ご巡錫による「中論」提唱

6月28日、29日。関西ご巡錫による「中論」提唱が行なわれた。
8時45分に高島平のご自宅に西嶋老師をお迎えに行き、10:30の「のぞみ21号」で新大阪へ向かった。
春から延期になっていた関西ご巡錫と「中論」ご提唱。
新大阪駅でドーゲンサンガ大阪のGさんに出迎えられる。今回の西嶋老師関西ご巡錫/提唱はスケジュールから会場押さえ、旅費、宿泊費、会場費まで実質Gさんの布施による。
大阪証券取引所会議室で14時よりご提唱。また懐かしい顔をそろった。初めての方も含め11名。
昨年11月の関西ご提唱(枚方・天満)で1章、2章が終わっているため、第3章から。
第3章から第7章までが西嶋先生の分類では「物質/客観/感覚に関する検証<集諦>」のパートにあたる。
28日は、1章、2章の簡単な振り返りのあと、
第3章『眼その他の感覚器官に関する検証』
第4章『集合体に関する検証』
のご提唱が行なわれた。夕方は同じビルの地下で、新たに駆けつけた3名とともに賑やかに食事をした。
翌29日。同じ会議室で、16名を相手に
第5章『物質的な要素に関する検証』
第6章『興奮と感受されたものとの融合に関する検証』
を解説されたのち、質疑応答に入り、会議室に運ばれたお弁当を食べながら新幹線の時間ぎりぎりまでお話しされた。

2日にわたって、老師は持論を再々述べられた。
『4つの哲学を重ね用いる釈尊の教えは、ナーガルージュナ、道元禅師の著作に明快に説かれている。この教えこそが最終の哲学であり、合理性のきわみであるがゆえに「信仰」するのではなく信じざるを得ない。一方で現実世界の(政治経済の)動向はすでに大きなひとつの力によって統制されつつあり、その意味で人類社会の流れは決しつつある。その勢力に指導原理としての釈尊の教えを提供しなくてはならない』

88歳の老師の元気なお声が、会議室に響いた。
そのお姿に接することができ、大阪、京都、名古屋、松坂、高知から駆けつけた弟子の皆さんはうれしそうだった。

ドーゲンサンガ大阪のGさんは新幹線のプラットフォームまで見送りに来られ、老師に次回、10月関西ご巡錫の依頼をされた。新幹線の中で出発まで老師は通路に窓の外を向いて立ち、Gさんは最後はよくお顔が見られるように列車に向かって膝をつき、しばしの別れの挨拶をされた。
静岡のあたりは大雨だったが、東京駅に着くと小降りに収まっていた。高速を使い、17時でご自宅までお送りすることができた。
2日間の関西行きで、移動はすべて車だったため歩いた時間は日課の散歩と比べて短い様子だったが、立ったり坐ったりの動きが多くお疲れになったことと思う。そうはおっしゃらずにただ、
「皆さんにこんなにしてもらって良いのかと、それが気になります」
とおっしゃった。

以上
by doutetsu | 2008-07-07 02:12 | 老師「中論」御提唱

6月21日 西嶋老師「中論」提唱@東大仏青

6月21日

この日は第2章『「行った」、「まだ行っていない」に関する検証』入った。
テキストでは改訂版中論24ページより。
西嶋老師によると、第1章、2章は全部で27章からなる中論の章立てを4分類した場合の「理論・観念的検証<苦諦>」の分類に属する。
15:30~16:30で第1頌~第12頌まで進み、質疑応答が行なわれた。
第1頌(行くことに関する追憶、想像、認識と行くという現実の行い)
第2頌(手足の動きと行きつつある事実)
第3頌(現実の行いの実状)
第4頌(現実の行いの実体)
第5頌(「行きつつある」という事実と行くという現実の行い)
第6頌(行くという動作と現実の行い)
第7頌(行為をする人と現実の行い)
第8頌(行く行かないという動きと行くという現実の行いい)
第9頌(行くという動きと行くという現実の行い)
第10頌(行く人と行くという動きと行くという現実の行い)
第11頌(行くという現実の行いの実在)
第12頌(行くという現実の行いの始期)
以上の各頌の提唱の概要は次の通り。
『頭の中で「行った」という追憶、「まだ行っていない」という想像、「行きつつある」という認識も、現実の世界で実際に行く行いとは次元が異なる。同様に「行く人」と「行く動き」を分けるのも頭の中でことであって、現実の行く行いとは異なる。考えることとは別の行くという行いが現実』

次回は7月19日
by doutetsu | 2008-07-06 22:21 | 老師「中論」御提唱