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2月16日 「正法眼蔵阿羅漢」

釈尊入滅はインド暦で「第2の月」の満月の日、とされているため、中国・日本では2月15日に涅槃会を行うとのこと。
前日の15日。東京大学仏教青年会主催の涅槃会法要と記念講義が講義室で行われた。
その際、仏青理事長である末木文美士先生を導師として、一同で唱えた帰依文の末尾は、我々が会の冒頭に唱える「開経偈」をと同じ内容(読み下し)だった。


2月16日。坐禅室で坐禅の後、講義室へ移動。
参加者は全員で15名。テキストは西嶋和夫著「現代語訳 正法眼蔵第6巻」
前回で観音の巻が終わり、P83『阿羅漢』に入った。

現代語訳の「本巻の大意」ならびに提唱録冒頭によると。

阿羅漢とは梵語arhatの主格arhanの音写であって、尊敬を受けるに値する人の意味。したがって本来は真理を体得した人(仏)を表す言葉であったが、大乗仏教が現れて小乗仏教との差を主張するようになるに従い、阿羅漢は小乗仏教における修行の最高位に到達した人を表し、大乗仏教における真理体得者には及ばないものと解されるにいたった。しかし道元禅師は釈尊の説いた仏法はただひとつであるという立場からこの考えを否定され、本巻において、修行の完成者すなわち阿羅漢は、真理体得者すなわち仏に他ならないことを述べておられる。

83ページから93ページまでの5節に分かれた範囲を、1節ずつ朗読し、西嶋老師の解釈に即して読み解いて行った。

『無復煩悩は未生煩悩なり、煩悩被煩悩礙をいふ』
「さらに煩悩もなく」とは、「もとから煩悩などというものは生まれていない」ということであり、さらに、煩悩があるとすれば煩悩としてそのまま生きていくだけということである。

『入涅槃は阿羅漢の入拳頭裏の行業なり』
落ち着いた至福の境涯に入るということは、修行の完成者が具体的な行為の中に没入することをいうのである。

『いま令一切聞といふ宗旨は、令一切諸法仏声なり』
いまここで釈尊の教えを一切のものに対して聞かせるといっていることの意味は、一切のもろもろの実在をして釈尊の声(教え)たらしめるということである。

『阿羅漢果のほかに一塵一法の剰法あらず<略>
 剰法は渾法剰なり』

宇宙は(宇宙以外に)余分なものが存在しない。仮に宇宙に余分な実在がひとつでもあるとするなら、すべての実在は宇宙そのものであるから、全宇宙が余分なものということになる。

『志求阿羅漢は粥足飯足なり』
修行の完成者であることを乞い求めるとは、朝食にも満足し、昼食にも満足した安定した日常生活を送ることである。

老師の解説に即して読めば、比較的意味のとりやすい巻といえる。
引用以外にも、深く美しいことばや理路が多数。

次回は3月1日(土)。残りは2節なので『阿羅漢』の巻を終え、『柏樹子』の巻に入る予定。

■■

3月15日より毎月1回始まる西嶋老師の「中論」ご提唱の案内を、過去に老師の講義を聞かれていた方々にお送りしたところ、何通もの葉書やメールで、この機会を喜ぶ声が寄せられた。幹事団で記録用DVDカメラも購入し、準備を進めつつある。
by doutetsu | 2008-02-17 17:30 | 赤心会ゼミ録

2月2日「正法眼蔵観音」第2回 終了

いつものメンバーに欠席もあったが新しい方もいらして参加者は9名。

今年二回目の赤心会。坐禅の後、講義室で開経偈を唱えた後、「観音」の巻、2回目。
テキスト 西嶋和夫著『現代語訳 正法眼蔵 第6巻』



西嶋老師の「本巻の大意」より。
「道元禅師は、雲巌曇晟禅師と道吾円智禅師の問答を利用して、観世音菩薩を慈悲心よりももっと本源的なもの、宇宙の全体に横溢している盲目的な生命ともいうべきものの象徴として理解されてる」

雲巌「観音菩薩は数多くの眼や手を使って何をなすのでしょう」
道吾「人が夜中に外れた枕を無意識に背中に手をまわして探るごとし」
「わかりました、わたしはわかりました、」
「どのようにわかりましたか」
「徧身是手眼(観音の手や眼は全身にあまねくある)」
「かなり言いえています。8,9割まで」
「わたしはこのとおりですが先輩はいかがですか」
「通身是手眼(観音の手や眼は全身に通っている)」


このやりとりをひとつひとつ取り上げ、道元禅師は精密極まる解説を加えていく。
今日はその後半部、73ページから。
詳細は省くが、
『観音』」の本質は、正しい正しくないの問題を乗り越えた生命の実態であり、宇宙の霊妙な働きである。
そのことをこのお二人は同じ境地で体得している。
百千万の言葉を尽くしても語り尽くせぬ真実を、わずかの言葉でほぼ語り得ている。
道吾が8,9割、と言ったのは、雲巌の表現では10に満たないと評したのではない。


このあたりの道元禅師の理路はいつものことながら容赦なく徹底的に進む。

「仏法もしかくのごとくならば、今日にいたるべからず」

その程度の思想であれば、今に伝わるはずがない、と。

■ ■

ディスカッションの時間には、大乗仏教で確立した観音信仰や衆生済度を否定していないが、世界の肯定としての仏教の立場では、まず生命(世界)の玄妙な働きの象徴として説明
されているのではないか、というような話が出た。

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次回は2月16日(土) テキスト83ページ 「正法眼蔵阿羅漢」に入る。

3月より西嶋老師の月1回の中論御提唱が始まる。

満88歳の老師から、坐禅の時間から参加するとのメールをいただいた。
幹事として恐縮するのみ。
by doutetsu | 2008-02-03 23:34 | 赤心会ゼミ録