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2007年1月第1回「恁麼(いんも)」 言い難きなにごとか...

■東京大学仏教青年会の自主サークル「坐禅と正法眼蔵研究会-赤心会」
本年度第1回を1月20日(土)に行った。
テキスト西嶋和夫著 現代語訳正法眼蔵 第5巻
昨年より読んできた「29.正法眼蔵 恁麼(いんも)」の巻を終了し、「30.行事(上)」に入った。

■恁麼(いんも)とは中国で唐末以降用いられる口語で「そのような、このような」、または「そのように、このように」の意。

テキストP85「本巻の大意」より
『英語で言えばitがこれに近い言葉と考えられ、言葉で具体的に表現することの困難な何物かを指すことから、中国の仏教では、仏教が追い求めるところの真理を、言い難き何物かという意味で、この恁麼という言葉で表現した』
この言葉をめぐる諸祖師の語録・問答録の引用と道元禅師の解説からなる巻。

真実であるところの、ありのままの現実(世界・自己)は言葉で表現することはできない。
それが何であるか、は坐禅の境地の中でしか了解しえない。

そのこと端的に表現しているのはP94末の2行と思われる。

『無上菩提正法眼蔵、これを寂静といひ、無為といひ、陀羅尼といふ。道理は、一法わづかに寂静なれば、万法ともに寂静なり』

■P111からは「30。正法眼蔵 行持(上)」
同ページ「本巻の大意」より
『行事とは梵行持戒(清浄な行為と戒律の保持)の略と解され、道元禅師は本巻において過去の真理体得者の中、特にその行為の清浄さと戒律の保持に関して優れておられる方々の事例を取り上げ、清浄な行為と戒律の保持がどのようなものであるか、簡明な文章でしかも生き生きと描写されている』


仏教においては「おこない」こそがすべての源泉とされる。
P111
『行持によりて日月星辰あり、行持によりて大地虚空あり、行持によりて依正身心あり、行持によりて四大五蘊あり』
P112
『いまという道は、行持よりさきにあるにはあらず、行持現状するをいまといふ』
自己の行いがあって初めて世界も時間も「存在」する、という仏教哲学の中核が冒頭で言われ、次から祖師方の事例と道元禅師の説明になる。

■次回は2月3日 行持の巻 P117最終行より、講読します。

※お問い合わせいただいた方で返信メールが届かない方がいらっしゃいます。
「赤心会」は本郷三丁目の東大仏教青年会(リンク参照)において毎月奇数土曜日14:30より坐禅を、15:30より「正法眼蔵」のゼミを行っています。どなたでも参加できます。

 
by doutetsu | 2007-01-29 00:55 | 赤心会ゼミ録