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9月2日本日の活動

東大仏青の夏季休館が終わりましたので、本日より赤心会を再開します。

例月通り、14時半より坐禅を行います。
その後、本日は提唱聴講の冒頭を茶話会とします。
会より静岡の洞慶院様へご寄付した御祈祷料についての御礼の言葉を、仲介いただいた尼僧の方よりご紹介いただきます。
また幹事都合により、提唱聴講に入らず早めに終了する可能性があります。
直前で申し訳ありませんがご了承くださいますようお願いします。
by doutetsu | 2017-09-02 09:33 | 活動・連絡

5月6日はお休み。20日は通常通り。

5月6日(土)は都合により、坐禅、講義ともに休みとなります。
5月20日(土)は通常通り実施します。

by doutetsu | 2017-05-05 07:22 | 活動・連絡

4月15日-第3巻に入ります。

4月1日でテキスト「現代語訳正法眼蔵 第二巻」の
「14.山水経」が終わりました。
4月15日(土)はテキスト第二巻の最後
「15.仏祖」
に入りますが、短い巻ですので引き続き
テキスト「現代語訳正法眼蔵 第三巻」の冒頭、
「16.嗣書」に入る予定です。
西嶋愚道和夫老師のご提唱の音声を聴講します。

時間は通常通り
14:30~15:15 坐禅(坐禅室)
15:25~17:00 講読(講義室)老師音声聴講
となります。
by doutetsu | 2017-04-13 09:31 | 活動・連絡

2017年2月予定

2月は4日(土)、18日(土)に予定通り実施します。
14時半より45分坐禅。その後「正法眼蔵」西嶋老師提唱音声を聴講。

4日は「13.正法眼蔵伝衣」の終盤。テキス166ページから最後まで、老師の音声を聞いていきます。
ディスカッション含め早く終われば続いて次巻「16.正法眼蔵山水経」に進みます。
by doutetsu | 2017-02-01 09:05 | 活動・連絡

2017年1月の活動について/小乗と大乗

明けましておめでとうございます。

本年も毎月第1・3・5土曜日の14時半から17時まで「坐禅と正法眼蔵研究」の会を実施してまいります。
(東大仏教青年会の閉館日を除く)

1月は7日と21日に実施します。
坐禅室で45分坐禅の後、講義室で老師提唱録音を聴講。
テキストは西嶋和夫著『現代語訳 正法眼蔵 第2巻』
「13.伝衣」の途中、テキスト145ページより。

前巻「12.袈裟功徳」と内容的に重複の多い巻でありますが、老師の方針にならい着実に読んで行きたいと思います。(1月で「伝衣」は終了の予定)
なお、1月7日は提唱録音聴講後、英語の会の幹事でもあるO氏より老師の英語の著作
「to Meet the Real Dragon」
につき紹介をしていただく予定です。

■■

昨年最後の会では、当ブロガーの最近の体験の話をしました。
ある若いアメリカ人の弁護士との間で仏教の話が出たとき、彼は即座に
「大乗(マハーヤーナ)よりテーラワーダのほうがより古く、正統だと思う」
と言いました。
近年、日本でもテーラワーダ仏教への関心が高まっています。
西嶋老師は「伝衣」の1979年3月の提唱のあとの質疑応答でこのように言われています。

「両方(大乗仏教といわゆる小乗仏教)のいいものをとったところに本当の仏教があるのだと思います。
だから、あれば小乗だ、あれは大乗だといっているのはどうも、どっちもあまり本ものでないということを少なくとも道元禅師はいっておられる」

これは、著書『仏教思想のゼロポイント』で注目の集まる魚川祐司氏の、プラユキ・ナラテボー師との最近の対談での
「『正しい/本当の仏教』といった議論にこだわり過ぎることは、2500年の仏教史が育んできた豊饒な思想的多様性の果実を十全に受け取りにくくなる」
という発言を思い出させます。

このあたりは、「ヴィパッサナー瞑想と坐禅」のかねあいの問題などとも相まって面白いテーマです。
赤心会においてもディスカッションをしていきたい所以です。
by doutetsu | 2017-01-03 23:18 | 活動・連絡

10月、11月の活動について

先月に続き、坐禅の後、「正法眼蔵 袈裟功徳」の巻の西嶋老師の提唱音声を聞いています。
テキストは「西嶋和夫著 現代語訳正法眼蔵第2巻」

10月1日は(当幹事は欠席しましたが)、テキスト98ページ分まで音声聴講が行われました。
本日15日および29日の土曜日は通常通り実施します。

11月は5日が幹事欠席、19日は通常通り実施の予定です。
by doutetsu | 2016-10-15 10:05 | 活動・連絡

明日9月17日の活動予定

明日9月17日は通常通り活動します。

14時半より坐禅室で坐禅(1回)
その後、講義室で「正法眼蔵」購読
17時終了予定です。

購読のテキストは
西嶋和夫著『現代語訳正法眼蔵 第2巻』
「袈裟功徳」の巻の途中(テキスト86頁)から
になります。
貸出用テキスト/サブテキストあり。

なお、「袈裟功徳」については、西嶋老師の
提唱録音を聞きながら読んでいきます。

10月1日は幹事都合により、購読はお休み
とさせていただいます。
by doutetsu | 2016-09-16 14:07 | 活動・連絡

今後の予定(30日ナシ/9月予定/追善坐禅会)

7月30日(土)の第5土曜日は、会員協議の上休会としました。
8月は東大仏青が夏季休館となるため、次回の「坐禅と正法眼蔵研究会の開催は、9月以降の第1、第3土曜日となります。

なお、9月3日(土)、4日(日)は「西嶋老師追善坐禅会/お墓参り」を予定しています。
9月3日(土)は通常の坐禅・購読は行いません。午前中から坐禅をはじめ、午後は坐禅、法要、懇談会の予定です。
※参加要領については個別に連絡しておりますので、何かあれば当ブロガーにメールにてご連絡ください。

9月17日(土)は従来通りの開催。
14:30から45分間の坐禅、その後「正法眼蔵 袈裟功徳」提唱(音声)聴講。
テキストは西嶋和夫著「現代語訳 正法眼蔵 第2巻」。86ページの、前節で引用した悲華経(袈裟の「五聖功徳」)への道元禅師の解説から、になります。
by doutetsu | 2016-07-30 00:03 | 活動・連絡

正法眼蔵と輪廻 西嶋老師は


「袈裟功徳」の提唱録に残された質疑応答で、「中有」という用語の使い方が、他の巻で読み取れる‘生まれ変わりの否定’と矛盾している、というやりとりに関連して。
7月16日の提唱(音声)聴講後のディスカッションの際、「仏教思想のゼロポイント」の著者である魚川祐司氏の「『ブッダは輪廻を説かなかった‘はずだ’』論批判」を振りかえりました。(ニー仏(魚川祐司)「だから仏教は面白い」から)

いわく。
輪廻否定派の言説の例に、『仏教では「無常・苦・無我」を謳う。無我なのに何が輪廻するのか』というものがあるが、無我と輪廻は矛盾しない。
無常:現象世界はすべて‘縁生’であり、因縁によって変転し続ける。
苦:すべて変転する以上、満足状態にとどまることは不可能。
「苦=不満足」の繰り返しになる。
無我:変転極まりない現象世界で‘常一主宰’の我は存在しない。

不変の主体が生まれ変わることが輪廻ではない。すべてが変転していく(輪廻する)中のある部分を切り取って、‘ある個人の一生’とみなすことができるに過ぎない。
ということのようです。

加えて、インド思想における「業」の概念。
インド思想において人間の行い=「業」は必ずあとあとに影響する。潜勢力を持つ。
これは西嶋老師が「仏教は行いを中心とする教えである」と説かれる際の説明とも共通します。
魚川氏は著書で、(西嶋老師も著作を読んだと言われた)木村泰賢博士の輪廻の説明を提示します。その概略は..。

Aという個人が死んでもその人間が人生の瞬間瞬間(A1、A2、A3・・・An)に行った「行い」は必ず影響を残す。
その影響aは‘次の’生存者であるBに及び、そのときBの生涯はaB1からスタートする。
Bmで死んだBの業はCの(初期)設定に影響し、すなわちbC1となる。
以後繰り返し。
これが輪廻だ、と。
はたして腑に落ちるか、という話になりました。

***

「私の生涯」は現象世界に生起するなにごとかの部分に過ぎない。
たしかに。
一方で、今ここにいある「私」の実存の実感はかけがいがない。

***

関連して思いだす西嶋老師の言葉をいくつか。
「ないです。死ねば永遠の休息があるだけ」(「死後の世界はあるか」と聞かれて)
「断見≒唯物論も外道、常見≒観念論も外道」
「我々ひとりひとりの行いは宇宙の歴史に永遠に刻まれる」

‘私の’死後はあるか、と聞かれれば、「わからない/ゼロ回答」というのが妥当解とされるけれども、「無い」という言明のほうがより‘正しい’、というお考えだったのでしょうか。
by doutetsu | 2016-07-29 23:58 | 活動・連絡

7月16日 正法眼蔵「袈裟功徳」

7月16日(土)坐禅の後、講義室で前回に続き西嶋老師の提唱音声を聴講。

テキストは『西嶋和夫著 現代語訳 正法眼蔵 第2巻』
「12.袈裟功徳」の4回目。「袈裟功徳」はテキストでは76ページ、29節に分けて掲載されている長大な巻です。

巻頭49ページ<本巻の大意>より。
『本巻においてはその袈裟の中、第二十八祖の達磨大師が印度から支那に伝えられたものこそ、正統の袈裟であることを主張され、その袈裟の効用、かけ方、洗濯の方法について述べられている』
1979年2月の提唱で西嶋老師はこう述べられています。
『普通『正法眼蔵』の提唱をやる場合こういう宗教的な伝統に関係した巻はやらない。(略)「現成公案」であるとか、「諸悪莫作」であるとか、やりがいのある、哲学的に難しそうな、おもしろそうなのだけがやられる。ただ『正法眼蔵』というのは、こういう「袈裟功徳」のようなそう理論的でない、そう哲学的でない巻も読まないと全体の意味がとれない、というふうに私は感ずる。だからこういう巻も抜かさずにやるということになる』
そういう巻ですので、西嶋老師の提唱をそのまま聴講することにして、進めています。

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16日は78ページの「袈裟を浣う法」からはじめ、80ページの悲華経巻八「諸菩薩本授記品」からの長い引用(袈裟の5つの優れた効用)まで老師音声を聴講しました。

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この部分が納められた提唱記録に(提唱録2巻上P232)、「袈裟功徳」の巻に出てくる「中有」と言う言葉についての質疑応答が記載されています。
語註に「中有=意識を持つ生きものが、死の瞬間から次の世に生を受けるまでの中間の時期」とあるが、「現成公案」の巻の「薪は灰となる、灰は薪とならない」といった解説と矛盾があるのではないか、というものでした。
道元禅師は(正法眼蔵は)輪廻があるということを肯定していたのか否か、という疑問であったと思われます。
この点についてのディスカッションはま別項で。
by doutetsu | 2016-07-29 23:09 | 活動・連絡