11月の「坐禅と正法眼蔵」研究会

11月4日(土)
14時半より45分坐禅。
次に講義室で西嶋老師の提唱音声を聞きました。
テキストは『現代語訳正法眼蔵 第3巻』
まず「18.正法眼蔵 心不可得」の続き、テキスト81ページから最後まで。
そのまま提唱は次の巻、まったく同じタイトルの「19.正法眼蔵 心不可得」に進みました。

このふたつの巻は後書きでは同じ年の同じ日付がになっている。
前の巻では「衆ニ示ス」とあり、後の巻では「興聖宝林寺ニ書ス」とある。
前の巻は道元禅師が実際にやられた説法の速記であり、
後の巻はその日の説法のために道元禅師が書かれた原稿ではないかと考えられる
とのこと。
今回の提唱(音声)で「19.心不可得」のはじまりの部分、テキスト90ページまで読み(聴き)ました。

次回は11月18日(土)。
同じく坐禅ののち、テキスト92ページから提唱を聴いていきます。


# by doutetsu | 2017-11-17 14:58 | 赤心会ゼミ録

9月2日本日の活動

東大仏青の夏季休館が終わりましたので、本日より赤心会を再開します。

例月通り、14時半より坐禅を行います。
その後、本日は提唱聴講の冒頭を茶話会とします。
会より静岡の洞慶院様へご寄付した御祈祷料についての御礼の言葉を、仲介いただいた尼僧の方よりご紹介いただきます。
また幹事都合により、提唱聴講に入らず早めに終了する可能性があります。
直前で申し訳ありませんがご了承くださいますようお願いします。
# by doutetsu | 2017-09-02 09:33 | 活動・連絡

「正法眼蔵 嗣書」終了 ’法は時間を超えて’

17日本郷。まず45分間の坐禅。
講義室で「正法眼蔵17.嗣書」3回目の講読。
嗣書とは、釈尊以来、代々真実を得た「仏祖」の証として師から弟子へ伝えられた書状。
道元禅師が日本では見ることのできなかった嗣書を宋で何種類か目の当たりに見た見聞が感動とともに記されています。

ある寺院を尋ねたところ、住職が話の途中でやおら嗣書を見せてくれる、と言う。
親しい者にも侍者にも見せない嗣書をみせよう、というのは。
数日前に住職の夢に大梅法常禅師が現れ、梅花の枝を差し出しこう言った。
「船で渡って来た真の人物がいたら華を与えるのを惜しんではならない」
道元禅師がその人だと確信した住職は嗣書を見せ、さらに自分から嗣法したければそれも惜しまない、と申し出ます。
道元禅師は「仏祖の冥資にあらざれば見聞なほかたし」と、感涙で袖を濡らします。
(その機にあらず、と思われらしく、嗣法は受けませんでした)
この話は
「帰国よりのち、いまだ人にかたらず」とのこと。

道元禅師の真の師となった天童如浄禅師が、
「釈尊と迦葉仏(伝説の過去七仏のひとり、釈尊の前に置かれる)とで法の授受が行われた」と言うのを聞いて、道元禅師が質問したいきさつが末尾のエピソード。
「太古の昔の祖師に釈尊が嗣法したというのはおかしいのでは?」
と(率直に)質問します。答は
「なんぢがいふところは(略)わが仏仏嫡嫡のみちにあらず」
仏教の説く真実が釈尊から始まったとするなら、今までわずか40代。新興の教えということになる。しかし法は永遠の真実である。
だから釈尊から(伝説の)迦葉仏に嗣がれ、迦葉仏から釈尊に嗣がれたと学ぶのだ。
「道元そのときはじめて仏祖の嗣法あることを稟受するのみにあらず、」
さらに、古い狭苦しい境地を脱することができた、と語られます。

本巻は1241年に「記ス」書かれ、1243年にあらためて「華押(花押)」サインがされています。
衆僧に説かれることもなく、道元禅師が書きとどめ、正法眼蔵の中でこれのみ華押がなされているそうです。
道元禅師にとってなんらか特別な記述書面だったのでしょう。
※※※

釈尊以来、ましてや過去七仏以来の「真の法統」が書面で残っている、というのはフィクションに違いありません。
しかし少なくとも千年を超える期間に実在した真摯な仏道修行者の名前が列記されたものではあると思います。
(西嶋老師より戴いた私たちは、その全員のお名前を筆写しています)

原始仏典から推察される「釈尊の教え」のありようと、中国経由で日本にわたり「真実」を求めて磨かれてきた伝統仏教の相違。学ぶひとりとしての実感値。
最近さまざまに取り上げられるようになった、かなり難しく、同時にはなれがたいテーマです。
# by doutetsu | 2017-06-23 07:37 | 赤心会ゼミ録

5月6日はお休み。20日は通常通り。

5月6日(土)は都合により、坐禅、講義ともに休みとなります。
5月20日(土)は通常通り実施します。

# by doutetsu | 2017-05-05 07:22 | 活動・連絡

4月15日-第3巻に入ります。

4月1日でテキスト「現代語訳正法眼蔵 第二巻」の
「14.山水経」が終わりました。
4月15日(土)はテキスト第二巻の最後
「15.仏祖」
に入りますが、短い巻ですので引き続き
テキスト「現代語訳正法眼蔵 第三巻」の冒頭、
「16.嗣書」に入る予定です。
西嶋愚道和夫老師のご提唱の音声を聴講します。

時間は通常通り
14:30~15:15 坐禅(坐禅室)
15:25~17:00 講読(講義室)老師音声聴講
となります。
# by doutetsu | 2017-04-13 09:31 | 活動・連絡

2017年2月予定

2月は4日(土)、18日(土)に予定通り実施します。
14時半より45分坐禅。その後「正法眼蔵」西嶋老師提唱音声を聴講。

4日は「13.正法眼蔵伝衣」の終盤。テキス166ページから最後まで、老師の音声を聞いていきます。
ディスカッション含め早く終われば続いて次巻「16.正法眼蔵山水経」に進みます。
# by doutetsu | 2017-02-01 09:05 | 活動・連絡

2017年1月の活動について/小乗と大乗

明けましておめでとうございます。

本年も毎月第1・3・5土曜日の14時半から17時まで「坐禅と正法眼蔵研究」の会を実施してまいります。
(東大仏教青年会の閉館日を除く)

1月は7日と21日に実施します。
坐禅室で45分坐禅の後、講義室で老師提唱録音を聴講。
テキストは西嶋和夫著『現代語訳 正法眼蔵 第2巻』
「13.伝衣」の途中、テキスト145ページより。

前巻「12.袈裟功徳」と内容的に重複の多い巻でありますが、老師の方針にならい着実に読んで行きたいと思います。(1月で「伝衣」は終了の予定)
なお、1月7日は提唱録音聴講後、英語の会の幹事でもあるO氏より老師の英語の著作
「to Meet the Real Dragon」
につき紹介をしていただく予定です。

■■

昨年最後の会では、当ブロガーの最近の体験の話をしました。
ある若いアメリカ人の弁護士との間で仏教の話が出たとき、彼は即座に
「大乗(マハーヤーナ)よりテーラワーダのほうがより古く、正統だと思う」
と言いました。
近年、日本でもテーラワーダ仏教への関心が高まっています。
西嶋老師は「伝衣」の1979年3月の提唱のあとの質疑応答でこのように言われています。

「両方(大乗仏教といわゆる小乗仏教)のいいものをとったところに本当の仏教があるのだと思います。
だから、あれば小乗だ、あれは大乗だといっているのはどうも、どっちもあまり本ものでないということを少なくとも道元禅師はいっておられる」

これは、著書『仏教思想のゼロポイント』で注目の集まる魚川祐司氏の、プラユキ・ナラテボー師との最近の対談での
「『正しい/本当の仏教』といった議論にこだわり過ぎることは、2500年の仏教史が育んできた豊饒な思想的多様性の果実を十全に受け取りにくくなる」
という発言を思い出させます。

このあたりは、「ヴィパッサナー瞑想と坐禅」のかねあいの問題などとも相まって面白いテーマです。
赤心会においてもディスカッションをしていきたい所以です。
# by doutetsu | 2017-01-03 23:18 | 活動・連絡

11月19日「伝衣」

45分の坐禅の後、講義室で「正法眼蔵」の講読。
テキスト「現代語訳正法眼蔵第2巻」の125ページ、「一三.伝衣」の第1回。
前巻「袈裟功徳」と同じく、老師の提唱音声を聞いていくことにしました。

テキスト冒頭「本巻の大意」
『伝衣とは<略>袈裟の伝承または袈裟そのものを意味しているが、本巻の内容は袈裟功徳の巻のそれに酷似しており、全く同文の箇所もかなりある。しかも<両巻の奥書は>全く同一日付になっている。ただ袈裟功徳では「衆ニ示ス」となっており、伝衣では「記ス」となっているから、袈裟功徳の巻は、当日における説法の筆録であり、これに対し伝衣の巻は、説法のための草稿ではなかったかと考えられる、しかしこの仮説の真否は将来における学者の細密な検討に待ちたい』

P127
俗なほいはく、その人の行李をみるは、すなはちその人をみるなり。
いま仏衣を膽礼せしは、すなはちほとけをみたてまつるなり。
p130現代語訳
俗世間においてさえ、「その人の行動を見るということは、とりもなおさずその人そのものを見ることである」と言っている。
<したがって>いま釈尊の制定された袈裟を拝見し、礼拝し得たということは、ただちに釈尊そのものを拝見し奉ることである。

提唱ではこの行李=行いについての考え方は非常に大切、と補足されています。
『人間をみるうえで、あるいは仕事においても『口というものと何をやっているかということとどっちが基準になるかといえば、何をやっているかということのほうが基準になるわけです』

この日は本文128ページまで(訳文132ページまで)。



なお、次回12月3日は当幹事が出席できないので、有志坐禅のみとなります。
ただ英語の会幹事でもある幹事会員の方が、老師音声データを持参されるので、当日参加で希望者があれば別巻を聴講するようにしていただけるとのことです。
# by doutetsu | 2016-11-22 05:56 | 赤心会ゼミ録

提唱録にみる西嶋老師の思想

『人間の価値は世の中の基準にあわせてはかられるものではなく
 自分自身として何をするかという行いにある。
 その根底にあるのが仏道であり坐禅』

現在赤心会で聞いている「袈裟功徳」の提唱が行われたのは1979年の2月。
当時ロッキード事件が世間をにぎわせていたため、関連する言及や質疑応答が提唱録に記録されています。

その中で。
社会的な様々な基準は時代によって変わる。そういうものの中に仏道を認めるわけにはいかない。
戦争前は非常に弾圧された思想が戦後大いに羽を伸ばしたというふうに、時代の変化に応じて、いいものが悪くなったり悪いものがよくなったり変化する。
その変化のどちらかをとらえてちらちが正しくてこちらはダメなんだというとらえ方はできない。
そういう趣旨を述べられたあと

「たとえば具体的な例でいえば、戦前に死んだ人で小林多喜二という人がいる。
これは左翼関係の劇を書いたりなんかして非常ににらまれて、獄死したわけだけれども、小林多喜二がああいう思想を持っていたことが正しいとか、偉いとかということではなくて、芸術家として一所懸命自分の作品を書いたということ、そこにああいう小林多喜二なんかの人間としての偉さがあるんであって、それがある時代において非常に迫害を受けたというところに偉さがあるんではなくて、芸術家として、人間として立派に生きたというところに意味があるんじゃないか」

「やはり人間としてああいう生き方をし、ああいう死に方をしたとすれば、非常に優れた、ほかの人には真似のできないような立派な人生だったということもいえないことはない。
それは右の思想とか左の思想とかという、時代によって移り変わる問題じゃなくて、もっと本質的な、もっと人間としての生き方ということにならざるを得ないんじゃないか」

「今日こういう事態が現に生まれておって、その中にわれわれも生きておるという現実、これは否定ができない。そうすると、われわれ自身が現に生きておる根底というものにさかのぼって事態をもう一度見直さざるを得ないということになる。
だから、そういう見直しをするために仏道があり、坐禅があるんだと。
だから、仏道をやる、あるいは坐禅をやるということを離れて、一定の考え方をまず最初に持ってしまって、それで善悪がどう、あるいは因果関係がどうというふうには考えることができない

正法眼蔵提唱録 第二巻上 255-256頁より。
# by doutetsu | 2016-10-16 16:35 | 西島老師について

10月、11月の活動について

先月に続き、坐禅の後、「正法眼蔵 袈裟功徳」の巻の西嶋老師の提唱音声を聞いています。
テキストは「西嶋和夫著 現代語訳正法眼蔵第2巻」

10月1日は(当幹事は欠席しましたが)、テキスト98ページ分まで音声聴講が行われました。
本日15日および29日の土曜日は通常通り実施します。

11月は5日が幹事欠席、19日は通常通り実施の予定です。
# by doutetsu | 2016-10-15 10:05 | 活動・連絡