11月19日「伝衣」

45分の坐禅の後、講義室で「正法眼蔵」の講読。
テキスト「現代語訳正法眼蔵第2巻」の125ページ、「一三.伝衣」の第1回。
前巻「袈裟功徳」と同じく、老師の提唱音声を聞いていくことにしました。

テキスト冒頭「本巻の大意」
『伝衣とは<略>袈裟の伝承または袈裟そのものを意味しているが、本巻の内容は袈裟功徳の巻のそれに酷似しており、全く同文の箇所もかなりある。しかも<両巻の奥書は>全く同一日付になっている。ただ袈裟功徳では「衆ニ示ス」となっており、伝衣では「記ス」となっているから、袈裟功徳の巻は、当日における説法の筆録であり、これに対し伝衣の巻は、説法のための草稿ではなかったかと考えられる、しかしこの仮説の真否は将来における学者の細密な検討に待ちたい』

P127
俗なほいはく、その人の行李をみるは、すなはちその人をみるなり。
いま仏衣を膽礼せしは、すなはちほとけをみたてまつるなり。
p130現代語訳
俗世間においてさえ、「その人の行動を見るということは、とりもなおさずその人そのものを見ることである」と言っている。
<したがって>いま釈尊の制定された袈裟を拝見し、礼拝し得たということは、ただちに釈尊そのものを拝見し奉ることである。

提唱ではこの行李=行いについての考え方は非常に大切、と補足されています。
『人間をみるうえで、あるいは仕事においても『口というものと何をやっているかということとどっちが基準になるかといえば、何をやっているかということのほうが基準になるわけです』

この日は本文128ページまで(訳文132ページまで)。



なお、次回12月3日は当幹事が出席できないので、有志坐禅のみとなります。
ただ英語の会幹事でもある幹事会員の方が、老師音声データを持参されるので、当日参加で希望者があれば別巻を聴講するようにしていただけるとのことです。
by doutetsu | 2016-11-22 05:56 | 赤心会ゼミ録
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