『礼拝得髄』後半 75巻本からは削除された「女人禁制」批判

2月6日
45分間の坐禅ののち「八.礼拝得髄」後半。

この巻で道元禅師は、
真実を得たものであれば誰であってもその得道、得髄に礼拝すべきである。
女性だからといって軽んずるのは全く誤りである、と説かれます。
188ページ「また和漢の古今に帝位にして女人あり」から。
皇帝になった女性が国土を所領し、人々が臣下となるのは、皇帝の位を尊ぶから。
比丘尼を敬うことも僧侶として釈尊の教えをはっきりつかんだときに敬うのである。
「またいま至愚のはなはだしき人おもふことは、女流は貪婬所対の境界にてありとおもふこころをあらためずして、これをみる」
女性は欲望の対象とであるからこれを忌み嫌う、というのは愚のきわみ。
そんなことを言うなら「一切男子もまたいむべきか」
男だろうと女だろうと幻だろうと、あらゆるものが情欲の対象・機縁になる。
「これみなすつべきか、みるべからざるか」
「おほよそ境をみてはあきらむることをならふべし、
何にかぎらず、何かにぶちあたったら逃げずにそれが何なのか学ばなくてはならない。

「日本国にひとつのわらひごとあり」
巻の終盤で、に道元禅師は「女人禁制の結界」を、女性というだけで排除するのは全く的外れなものと批判します。
権威が決めたことだから、古くからのしきたりだから、などという説明は
「わらはば人の腸(はらわた)もたえぬべし」

つまるところ
「一切衆生みな化をこうぶらん功徳を、礼拝恭敬すべし」
西嶋老師は解説されます。
釈尊はすべての人々を救おうと教化された。あれは救うけれどもこれは救わない、ということではない。
誰でも釈尊の教化を受けうるということ、そのことを敬うべきである。

なお、この日読んだ本巻の後半は現在の岩波文庫ではこのように説明されています。
「以下は75巻の正法眼蔵には諸本いずれも欠き、ただ永平寺に伝わる秘密正法眼蔵の中だけに残ったものである。恐らく、75巻の正法眼蔵が整理された時、削られたものであろう」
なにか不都合があったのでしょうか。

次回、2月20日は「九.正法眼蔵 渓声山色」に入ります。
by doutetsu | 2016-02-11 23:08 | 赤心会ゼミ録
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