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西嶋老師の正法眼蔵解明の方法について<その1>

西嶋和夫著「現代語訳正法眼蔵第1巻」の巻頭には『緒論 正法眼蔵解明の方法について』があります。
そこでは、西嶋老師が正法眼蔵の解明、現代語訳にあたって採用した方法に関する特徴が以下の項目で説明されています。

1.飜訳的逐語訳
2.西洋哲学における諸概念の活用
3.体系的な全体的把握
(1)行為的世界観
(2)実存主義的世界観
(3)弁証法的論理
(4)宗教的伝統の裏付け
4.体験を通しての実践的把握

これらは西嶋老師の現代語訳を比類ないものとしている特徴であると考えます。
かつて三省堂書店神保町本店の仏教書のコーナーには、西嶋老師の「現代語訳正法眼蔵」全12巻が常に配架されていました。
その棚には書店員によるカードが貼ってあり「精確無比な現代日本語訳」と書かれていました。また老師の提唱類等も置かれていて、かなりのスペースが老師のご著書にあてられていたことになります。
当時近くのオフィスで勤めていた筆者はここの書店の宗教・哲学のコーナーに行く際はかならずこのカードの貼られた棚の前に立ち、誇らしい気持ちを味わったものでありました。

これからおりにふれ、西嶋老師が正法眼蔵を解明された方法の特徴を理解すべく、この緒論から引用し、ご紹介したいと思います。
今回はまず「1.飜訳的逐語訳」をお読みください。

「正法眼蔵は疑いもなく日本語で書かれた著作である。しかも古来難解の書とされ、殊に道元禅師を讃仰する識者間においてさえ、不可解の書と断定することがむしろ正しい解釈であるとまで誤認され、ひたすら敬遠の対象となってきた理由は何であろうか。その一つの大きな理由は勿論正法眼蔵が内包する思想の次元の高さ、ひいては仏教哲学そのものの次元の高さに求めなければならないであろう。しかしながらそれと同時に、今日我々が正法眼蔵に対して感ずる困難さの一つに、用語の難解さがあると思う。<※続きはMoreをクリックしてください>



元来この用語の難解さというものは、正法眼蔵の文脈の難解さ、つまり論理的把握の困難さの陰にかくれて、我々の意識に上って来ることが比較的少ない。しかしながら正法眼蔵の中に頻繁に使用されている用語、たとえば道であるとか、法であるとか、菩提であるとか、涅槃であるとかというような字句は、今日我々が使っている日常語の中にはすでに生きていない。したがって我々が道とか、法とか、菩提とか、涅槃とかという言葉に接した場合には、当然これらの用語をまず解明する必要がある。すなわちこれらの用語を現代語に引き直した場合、どのような概念に相当するかということを検討する仕事、いわば古い時代の日本語を現代の日本語に飜訳する仕事が是非必要である。
 しかるに従来の註釈書を見ると、法とか、道とか、菩提とか、涅槃とかという用語は、いずれもその内容が自明の概念として取り扱われ、註釈の中にこれらの用語がそのまま使われている場合が多い。また註釈をほどこしてある場合でも、非常に難解な仏教上の概念をそのまま使用し、これらの概念にあまり馴染みのない人々にとってはさらに註釈の註釈を必要とするような例も少なくない。
 そこで訳者はこのような困難を除くため、正法眼蔵の一字一句を逐語的に現代語に飜訳する方法を採用した。
元来正法眼蔵は道元禅師御自身の「文字法師のよく解する処にあらず」というような御批判が浅薄に誤解せられたためか、逐語的に解明された例が極めて少ない。しかしながらこの「文字法師……」の御言葉は、単に概念的な思惟のみに頼って、実践的修行を閑却する宗派を非難する主旨であって、真理の論理的な探究そのものを否定されたものでないことは、正法眼蔵の処々(たとえば仏教の巻、仏経の巻等)に明らかである。そしてこのよう理由から訳者は正法眼蔵解明の方法として翻訳的逐語訳という手段を採用した。」
by doutetsu | 2015-02-23 19:29 | 西島老師について
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