4月16日「梅華」 花開き世界起こる

赤心会ゼミ録

●実施日:110416 ●参加者数:13名
●テキスト:西嶋和夫著 現代語訳正法眼蔵第8巻
●講読範囲:「梅華」第1回 195~212頁
●次回予定:4月30日(土) 同 212頁より、「梅華」続き

坐禅のあと、講義室へ移動し、春休みが明けた本年度第1回は「正法眼蔵梅華」から。
五九、正法眼蔵 梅華.本巻の大意 (テキスト195頁引用)

【道元禅師は、梅の樹や花を非常に愛好された方のようである。正法眼蔵の中に、この梅華の巻があることからもそのことは知られるし、永平広録の中にも梅を詠まれた詩は決して少なくない。また道元禅師の師匠である天童如浄禅師も、きわめて梅を愛された。そのことは、この梅華の巻に引用された如浄禅師のお言葉からも明らかである。
 一般的にいって、これといった特別の娯楽もなく、坐禅の修行に明け暮れる、山中の僧堂生活においては、長い寒さの終わりを告げ、暖かい春の到来を暗示して咲く梅の花が、その美しさ、香り、気品等の面から見て、この上ない慰めを僧侶の人々に与えたのであろう。ただし本巻においては、単に梅の樹や花に対する愛好の念が語られているのではなく、梅という可見的な姿を通して開示される宇宙秩序そのもののあり方を、天童如浄禅師・五祖法演禅師・大原孚上座などの言葉を引用しながら述べておられる。】
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道元禅師のもとに1941年、1942年と天童如浄禅師の語録が到来し、正法眼蔵において爾後その語録からの引用と解説が多くみられるようになった。1943年の日付のある「梅華」の巻における引用は大半が如浄禅師の語録である。

西嶋老師は提唱の際にこの「梅華」も非常に難しい巻である、と話されている。
提唱録を要約すれば



<ほかにも難しい巻はあるが、この巻については、言葉が難しい、あるいは哲学的な理論が難しいということよりも、詩の難しさということがある。
梅の花というものによって、梅の花も含んでの自然、あるいはわれわれの住んでいる世界全体を象徴する、言葉では表せないものを眼に見えるものとして表すために用いている。言葉で表現できないものを何とか言葉で表現しようとする詩の難しさがある。>

後進のわれわれには、そもそも詩偈(漢文)の詩的表現の解釈が難しい。その偈に対する道元禅師の解説がまた難しい。
老師の現代語訳と提唱録を頼りに、この日は巻の半ばまで読み進んだ。
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冒頭、天童如浄禅師が説法の際に述べた、
「天童山にあって仲冬(陰暦11月)を第一に表すものは、節くれ立った梅の古木。
時節になると急に咲き出し、1つ2つ、3つ4つ5つ、そして無数の花が咲く」
と始まる偈文がまず引用される。
その詩偈に対する道元禅師の解説が以下の文。
『いま開演ある老梅樹、それ太無端なり、忽開花す、自結果す。あるいは春をなし、あるいは冬をなす。<略>乃至大地高天、明月清月、これ老梅樹の樹功より樹功せり。葛藤の葛藤を結纏するなり。老梅樹の忽開花のとき、花開世界起なり。花開世界起の時節、すなはち春到なり』
意味するとことろは次のとおり(テキスト現代語訳+提唱録)。
「いまここに述べられているところの梅の古木は、本来把えどころのない大きな内容をもったものである。急に花を咲かせたかと思うと、ひとりでに実を結んだりもする。
ある場合には〈実を結んで〉春の情景を示し、ある場合には〈花を咲かせて〉冬の情景を示す。
<略>
大地が広いとか天空が高いとか、太陽が輝かしいとか月が清らかであるとかは、梅の古木が梅の古木としての存在を発揮しているところから生まれる結果であり、梅の古木もそれを取り巻く環境も言葉に表せない複雑な現実として相互に影響し合っているところから生まれる結果である。
すなわち、梅の古木が急に花を咲かせる時とは、花が咲くことによって世界が〈一斉に〉生起するという事態であり、花が咲くことによって世界が一斉に生起するという時節とは、まさに〈現実の〉春が到来した瞬間のことである」

普通は大地があり、高い空があり、太陽が月がという情景の中に梅の木がある。仏教思想においては現実は主観と客観の相互作用。梅の木があることによって大地、空、太陽、月がそこにあるという捉え方を同時にする。
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「花開キ世界起コル」は空華の巻等でも出てくることば。
まず世界があってそこに現象がある、という常識(妥当性)を前提に、
現象があるから世界がある、と主張する。
さらには「自らの行いが、現に世界をあらしめる」という主張につながる。
by doutetsu | 2011-04-29 17:18 | 赤心会ゼミ録
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